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【2019年レクイエム】モンキー・パンチさんの遺志 ルパンの挑戦は…止まらない

[ 2019年12月30日 05:30 ]

激動2019 政治社会編(14)

パソコンでの作画に早くから取り組んだモンキー・パンチさん(C)モンキー・パンチ
Photo By 提供写真

 今年も人気作家や大物政治家ら多くの著名人が亡くなった。人気アニメ「ルパン三世」の生みの親で、原作漫画を手掛けたモンキー・パンチ(本名加藤一彦)さん(享年81)が4月11日に死去。大泥棒ながら憎めない性格の国民的アンチヒーローを生み出した巨匠の死を、親友の漫画家や担当編集者らが悼んだ。

 今月6日から公開中の「ルパン三世 THE FIRST」は、シリーズ初の3DCGアニメ映画。配給元の東宝の担当者は「見た人からは“非常に良かった”の評価が95・3%と上々。車や銃などメカ表現とCGは相性がいい」と手応えを得ている。

 3DCG化は、モンキーさん自身も望んだことだった。関係者によると「キャラデザインなどのデータを見て公開を心待ちにしていた」という。

 だが、双葉社で00年ごろから担当した編集者の遠藤隆一さんによると、モンキーさんは「昨年からつえや車椅子を使うなど、徐々に体力の衰えがあった」。年明けに検査入院し、4月に誤嚥(ごえん)性肺炎で死去。完成した映画を見ることはできなかった。

 早くから漫画にデジタル機器を持ち込んだモンキーさん。1980年代半ばには、300万円もするマックのパソコンを購入。50年来の親友で「柔侠伝」などのヒット作がある漫画家バロン吉元さんは「こつこつ勉強し、66歳から大学に入りパソコンを学んでいた。真面目でルパンと正反対」と天国の友を語る。

 2人はデビュー間もない67年に創刊された「漫画アクション」(双葉社)で、二枚看板に抜てきされてからの仲。当時なかった若者向けの漫画誌で、共に新たな漫画を模索した。「我々は“ヌーベルコミック”と呼んだ。モンキーはアメリカのカートゥーン(漫画)を自分なりに解釈し、自分流に表現した」と独特の画風と大人向けの物語で、若者の心をつかんだ功績を称えた。

 「ルパン」はアニメ化によって世界観やファン層を広げてきた作品でもある。双葉社の遠藤さんは「大泥棒の子孫であるルパンや五ェ門、敵役は銭形平次の孫など、幾つかの設定を守るだけで自由に物語ができるため、才能あるクリエーターがいろんな挑戦を続けてきた。モンキーさんはそれを喜んでいた」と語る。

 「名探偵コナン」との競演など、常にファンを驚かせてきたルパン。令和の時代も変化を重ね、続いていく。(特別取材班)=終わり=

 <「コナン」青山剛昌さんら寄稿 モンキーさん追悼本>遠藤さんが責任編集を務めた「追悼、モンキー・パンチ。」(180ページ、税別2500円)が双葉社から発売された。モンキーさんの手掛けたイラストや、貸本漫画家時代のデビュー作「死を予告する鍵」、商業誌デビュー作「プレイボーイ入門」の原稿、作品リストなどを掲載している。漫画家仲間による追悼コーナーも手厚く、盟友バロン吉元さんのインタビューのほか、ちばてつやさんや里中満智子さん、松本零士さん、永井豪さん、青山剛昌さんらそうそうたるメンバーの追悼イラストや色紙を掲載している。

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