【競輪コラム】平原康多は選手である以前に人として超一流だった 偉大な伝道師、お疲れさまでした

[ 2025年5月29日 04:40 ]

いつも笑顔で関係者と接していた平原康多
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 平原康多が突如、バンクを去った。長らく競輪界を引っ張ってきた存在。平原康多がいない、ということに慣れるには時間がかかるだろう。ぽっかり穴があいた。G1を9Vという実績はもちろんだが“関東のプリンス”が凄かったのは自転車にまたがった時だけではなかった。

 一報が入ったのは青森全プロの前検日。ゆかりのある選手たちに思い出を聞いた。

 高校の後輩でもある宿口陽一は「競輪選手の前に人として正してくれた」と感謝。また、幾度となく連係した諸橋愛は平原の話になると、持っていた荷物を置き、一層真面目な表情で「人間として魅了されるし、ひかれる存在だった」と証言した。

 競輪は人が走るから面白い。選手である以前に人として超一流だった。「そういう人間だから悲しむ人は多いでしょう」という諸橋の言葉にはうなずける。

 取材にもいつも爽やかな笑顔で対応してくれた。引退の報を聞き急きょ電話をかけた。23年の競輪選手生活にピリオドを打つ日。そんな大事な日にも「全然、大丈夫ですよ」と、いつもの優しい声で対応してくれた。

 カチッ、カチッ、カチッという音が聞こえる。「たった今、手帳を返してきました」。音の正体は車のウインカー音。帰宅途中の車内でハンズフリーの状態にして対応してくれたのだ。改めて、その人柄にほれた。

 電話取材の最後、ファンとしてもあまりに寂しい気持ちになり、思わず「今後ともよろしくお願いします!」と伝えた。すると「はい!こちらこそよろしくお願いします」と社交辞令とは思えない声で返してくれた。

 佐藤慎太郎の言葉を借りれば「“競輪伝道師”は平原」。競輪界を引っ張ってきたプリンスは、また大好きな競輪を支えてくれるに違いない。

 平原さん、お疲れさまでした。そして感動をありがとうございました!(渡辺 雄人)

 ◇渡辺 雄人(わたなべ・ゆうと)1995年(平7)6月10日生まれ、東京都出身の29歳。法大卒。18年4月入社、20年1月からレース部・競輪担当。22年は中央競馬との二刀流に挑戦。23年から再び競輪一本に。競輪に興味を持ち始めた時に競輪好きな父に言われたのは“平原と武田を狙っとけばいいから”。

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