【追憶のセントライト記念】89年サクラホクトオー 貴公子が屈辱にまみれ…秋初戦で鮮やか復活

[ 2024年9月11日 06:45 ]

89年「第43回セントライト記念」で、剛脚を発揮してファンを魅了したサクラホクトオー(手前)
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 ベテラン競馬ファンがこの記事を読むのであれば、ぜひ聞いてみたい。サクラホクトオーと聞いて、どんな思いがよぎるだろうか。

 筆者は「期待と挫折」だ。兄サクラチヨノオーは(のちの)ダービー馬。父トウショウボーイ譲りの、すらりとして垢抜けた馬体。デビューから圧勝続きの無傷3連勝でG1・朝日杯3歳Sを制覇。最優秀3歳牡馬に輝いた。

 馬名の由来は横綱・北勝海から。兄が千代の富士から命名されており、当時、隆盛を誇った九重部屋の二大横綱からその名をもらった。

 何というか、あらゆる要素が完璧で、もはやサクラホクトオーが負けるシーンは考えにくかった。このまま同期のライバルを寄せ付けず3冠ロードを快走するのだと思っていた。

 ところが、だ。3歳(当時4歳)初戦の弥生賞でサクラホクトオーは、あっさり大敗してしまう。不良馬場に苦しんで、負けも負けたり12着。勝ったレインボーアンバーから4秒4差もつけられていた。

 続く皐月賞も不良馬場。しかし、2歳時の3連勝ですっかりサクラホクトオーにホレ込んでしまった(筆者を含めた)ファンは、再度、貴公子を信じてしまう。単勝3・0倍の1番人気。しかし…。全く見せ場なく19着に散った。この年は20頭立てで1頭が競走中止。要は最下位だった。

 ダービーは待望の良馬場。だが、サクラホクトオーの勝負勘はすっかり失われていた。勝ったウィナーズサークルから1秒4差の9着に終わった。

 2歳時にかけた魔法はもう解けていた。秋初戦のセントライト記念は3番人気。「ホクトオー?早熟でしょ。もう終わったよ」。後楽園のウインズで、耳に赤鉛筆を差したオジサンがそう言っていたことを思い出す。

 だが、サクラホクトオーを信じ続けていた人がいた。管理する境勝太郎調教師だった。「良馬場なら何とかなる。ホクトオーが、これで終わるわけがない」

 小島太騎手も最高の騎乗を見せた。逃げたボストンキコウシの背後から、岡部幸雄騎手のスダビートが早めにかわしにかかる。その直後だ。サクラホクトオーがうなりを上げてスダビートに迫った。瞬時にかわす。1馬身差をつけてゴールに飛び込んだ。

 「なっ。やっぱり積んでいるエンジンが違うんだよ」と笑みを浮かべた境勝師。小島太騎手も「やっぱり勝たなきゃいけないよなあ。ようやく、ずれていた歯車がかみ合った気がするよ」。そう言いながらも主戦に笑顔はなかった。“この程度で喜んではいられない。なんたってこの馬はサクラホクトオーなんだから”。そう言いたげな表情だった。

 続く菊花賞は5着。直線で1頭だけ外へと派手にヨレていき、それでも猛烈に追い込んで、勝ったバンブービギンから0秒4差。筆者はラジオで聴いていたのだが、実況の勢いは2着あたりまで突っ込んできたかのような興奮ぶりだった。実況アナの気持ちはよく分かる。あのサクラホクトオーがついに能力の片りんを見せたのだ。興奮がマイクに乗ってしまっても、何ら責められない。

 菊花賞の後、境勝師は小島太騎手を激しく怒ったらしいが、多くのファンはその走りに満足したことだろう。悩める春を過ごした貴公子が、負けたとはいえ迫力ある走りを披露してくれた。それで十分だったのではないか。少なくとも筆者はそう思えた。

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