厳しさの中に優しさ 情に厚い先生だった

[ 2020年8月28日 05:30 ]

 【競馬人生劇場・平松さとし】元調教師で元騎手の伊藤正徳さんが亡くなった。

 ラッキールーラで日本ダービーを制覇(77年)するなど活躍した騎手時代を経て、87年には調教師に転身。故後藤浩輝騎手の師匠でもあった彼は芯の強い性格で怖いイメージのある指揮官。しかし、本当は情に厚く優しい先生だった。

 約30年前、私が駆け出しのトラックマンだった頃、担当させていただいた。少しすると、私がトラックマンを代表して伊藤調教師から週末に使う馬の予定を聞き、そのコメントをもらう大役を任された。ある朝、使う予定の馬を1頭、聞き漏らした。その馬が抜けた状態の出走予定表を見た伊藤調教師は激怒。しかし、謝りに行くと彼は言った。「若い子を責めるわけにはいかない。そもそも私がちゃんと伝え忘れていたのがいけないのだから…」

 これを機に下調べと確認の念押しを慎重にするようになった。彼は馬やホースマンだけでなく、マスコミ側の人間も育ててくれたのだ。

 こんなこともあった。福永祐一騎手がデビューしたばかりの頃、私は今でいうエージェントのまね事をしていた。もっとも当方のその方面での能力はいまひとつ。誰に薦めても「(父の)洋一さんとは違うだろう!?」などと言われ、騎乗馬確保に困窮。福永騎手にも「申し訳ない」と思っていた時、助けてくれたのが伊藤調教師だった。のちに重賞ウイナーとなるローエングリンの新馬戦やG1で2着したディヴァインライトなど有力馬の鞍上を託してくれた。祐一騎手のお父さまの福永洋一さんと同期だったこともあるが、伊藤調教師自身の優しさがあってこそだったのも間違いはないだろう。

 12年、高知競馬場で行われた福永洋一記念にはその同期であるいわゆる“花の15期生”が集合した。その席で洋一さんと握手をした伊藤調教師は言った。

 「なんて強い握力なんだ。同期の中でも洋一が一番元気。負けないように長生きしないとな…」

 その約束を果たせず、71歳での他界は早過ぎる。洋一さんも残念がっていることだろう。合掌。(フリーライター)

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