佐々木厩舎の田重田厩務員 愛馬キズナの産駒と最後の大仕事!

[ 2020年3月19日 21:55 ]

田重田厩務員と担当していたキズナの子供・リトルクレバー(撮影・亀井 直樹/)
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 真の一流は偉ぶることがない。いかにも昔ながらの職人といった雰囲気の田重田厩務員。仕事への姿勢が極めて真摯な上、親しみやすい性格とあって厩舎スタッフはもちろん、多くのマスコミから慕われている。

 「JRAに入厩する馬はみんな優等生だし、能力は秘めているんです。ただ、どんなに走るのが速くても、競馬を使えなかったらどうにもならないからね。いいところは見なくていい。日々のケアで欠点を補ってあげたいと思い、これまでやってきました」
 多くの関係者が、田重田さん=キズナのイメージを持っている。やはりクライマックスはダービーだ。

 「あの時は状態が良かったし、自信があったね。本馬場入場の時、ユタカちゃんに『ゲートに行こか?』と聞いたら、『一番いいところで見といて』と言われたんだ。直線で前が開いた瞬間、勝ったと思ったよ」

 この後の行動が田重田さんらしい。「勝ってすぐに“凱旋門やん。ヤバイ!”と思ってね。今となってはフランスに行けて良かったと思うけど、当時は引き上げてきた馬を迎えに行かなかったぐらいだよ」と懐かしそうに振り返る。

 個人的に印象に残っているのは下り坂が苦手というエピソードだ。「阪神はパドックから地下馬道にかけて下り坂があって、そこはいつも小走りだったね」。そんな弱点を見抜いていたからこそ、坂を2回も下る天皇賞・春の前はどこか弱気だった。14年は4着、15年は7着。結果との因果関係は定かではないが、その眼力に感服させられたことは一度や二度ではない。

 愛馬と競馬場に向かうのは残り2回となった。今週日曜の阪神6R・3歳1勝クラスにリトルクレバーで参戦。そして来週日曜の中京9R・大寒桜賞のリメンバーメモリーがラストランとなる。奇しくも、ともにキズナの初年度産駒だ。

 「キズナは“走りたいから早く離してくれ!”という暴れ方をしていたけど、リメンバーはまだまだ子どもで、単にうるさいという感じかな。でも、今週、来週と競馬に、それもキズナの子どもで行けるのは良かったよ。頑張ってきます」

 決して“勝ちたい”とは口にしない。あくまでも、少しでもいい状態でレースに向かうことに注力する。「まだ最後という実感はないし、何も変わらないね」。最後の1日まで、黙々と目の前の愛馬と対話し続ける。

 ≪馬を見抜く眼力、佐々木師も賛辞≫佐々木師は技術調教師時代に所属していた新井厩舎で田重田厩務員と同じ釜の飯を食った仲。「全く手抜きをしない職人。担当馬を“走る馬”にできる人だね」と最大級の賛辞を送る。「『どう?』と聞いて『う~ん…』と返ってきたら状態が良くないサイン。そんな時は結果も出なかったな」とエピソードをまじえつつ、担当馬のすべてを見抜く眼力を称えた。

 ◆田重田 静男(たじゅうた・しずお)1955年(昭30)1月10日生まれ、鹿児島県出身の65歳。中学卒業後、内藤繁春元調教師が経営する育成牧場で3カ月ほど働いた後、久保道雄厩舎へ。72年の京都牝馬特別をセブンアローが勝って重賞初制覇。その後は新井仁厩舎、藤岡健一厩舎を経て、佐々木晶三厩舎のスタッフに加わった。11年の宝塚記念をアーネストリー、13年のダービーをキズナで制している。長男の裕生助手は池江厩舎でダノンバラードやサトノノブレスを担当。現在はサトノアーサーやミラアイトーンを手がけている。

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