中野栄治師 皐月2着が糧となった“フウジン伝説”

[ 2014年5月30日 05:30 ]

中野栄治師

 19万6517人。史上最高の入場人員を記録した90年ダービー。勝ったアイネスフウジンの手綱を取ったのが中野栄治師(61)だ。レース後の「ナカノ・コール」は競馬人気絶頂期の象徴として今も語り草。スポニチ本紙・鳥谷越ら、このダービーを生で見てスポーツ紙に入社した現役競馬記者も少なくない。

 師が当時を語るとき、必ず振り返るのが1番人気で2着に敗れた皐月賞のレース後のこと。「乗り代わりでも不思議なかったのに、先生(故・加藤修甫師)は“栄治、ダービー勝とう”とだけ言った。その瞬間、ダービーは“勝ちたい”ではなく“勝たなければいけない”レースになった」。大一番に向けて自身の体のメンテナンスや馬場のチェックなど準備を入念に重ね、見事に期待に応えた。

 童話が好きだというが、「桃太郎はあまり好きじゃない。だって要は物(きび団子)でつっているわけで、ずるい感じがするじゃない」と笑う。自身と馬の力を信じ、他馬や展開に影響されない逃げ切りでのダービー制覇。一世一代のレースは、いかにも中野師らしいと言えるのではないだろうか。

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2014年5月30日のニュース