【日本ダービー】矢作師ブリランテ、信念の結晶

[ 2012年5月28日 06:00 ]

<日本ダービー>ディープブリランテでレースを制した岩田(右)は矢作師と握手する

 ゴール前は2頭の一騎打ちとなった「第79回日本ダービー」。鼻差の激闘を制したディープブリランテの矢作芳人師(51)は進学校を卒業しながら、調教師だった父の背中を追って競馬の世界へ。調教師試験に13度失敗した苦労人は、ようやくつかんだダービーの喜びをかみしめた。

 「岩田!もたせろっ!!」

 矢作師は調教師席から声がかれるまで叫び続けた。直線坂上で先頭に立ったディープブリランテに、外からフェノーメノが迫る。内外離れたゴール前の攻防。思いは届いた。鼻差でダービートレーナーの称号を手にした。「何とも言えない気持ち。これが感無量というやつかな」

 涙をぬぐい、引き揚げてきた岩田を、師は口を真一文字に結んで出迎え、固く握手を交わした。「涙が出ると思ったが意外と泣けないもんだね」。そう語った師だが、この時だけは、込み上げるものがあった。

 「毎日ブリランテの調教に騎乗させてほしい」。岩田から申し入れがあったのはNHKマイルCの翌日。「僕はスタッフを信頼しているし、今まで乗ってきた助手のプライドもある」。葛藤はあったが「情熱に懸けてみよう」と受け入れた。調教内容をめぐって意見の衝突もあった。「岩田が独断専行する面もあった。うちの厩舎のやり方とは違うので1度怒鳴りつけたこともある」。雨降って地固まる。両者のきしんだ歯車はダービーという共通目標に向けて、滑らかな回転を取り戻した。

 3年前の5月。パカパカファームで生まれたてのブリランテを目にした矢作師。ひと目ぼれだった。セレクトセールの落札主がノーザンファームと分かると「僕にやらせてください」と頭を下げた。「志願して預からせてもらった馬なので、能力を出し切れないことが情けなかった。でも、今回はこれ以上ないという最高の仕上げで臨めたので満足。岩田も馬と話し合いながら、よくやってくれた」。一番強いと信じ続けた馬で勝ち取ったダービー。一言一言、かみしめるように振り返った。

 今後については「馬の成長に合わせて、レースを決めつけず秋を目指したい」としたが「凱旋門賞に登録しなかったのは失敗だったな」と日頃から人の和を重んじる師はリップサービスも忘れなかった。名門・開成高を卒業し競馬の世界に飛び込んでから34年。信念を貫き通し頂点を極めた。

 ◆矢作 芳人(やはぎ・よしと)1961年(昭36)3月20日、東京都生まれの51歳。日本有数の進学校、開成高を卒業後、オーストラリアに渡り武者修行。帰国後の84年、栗東トレセンに入り、厩務員、調教助手を経て04年、14度目の挑戦で調教師試験に合格。05年3月開業。同5日の阪神1Rマルタカクインで初出走(9着)。同26日中京9Rテンザンチーフで初勝利。G1はグランプリボスで制した10年朝日杯FS、11年NHKマイルCに続く3勝目。JRA通算2665戦247勝。

続きを表示

2012年5月28日のニュース