【売野雅勇 我が道27】愛車を手放す…大きな衝撃だったミスチルの出現

[ 2025年8月28日 07:00 ]

ミスチルの出現によって手放したという愛車と筆者(本人提供)
Photo By 提供写真

 阿久悠さん、筒美京平さん。偉大なる先輩方の功績には頭が下がりますが“年下”で素晴らしいとうなった人物がいました。Mr.Children(ミスチル)の桜井和寿さんです。

 それは1994年6月に発売された彼らの5枚目のシングル「innocent world」を聴いた時。「遊びの時代は終わったのだ」と新時代の幕開けを感じました。それは30代前半だった僕に、京平先生が教えてくれた「作詞家としての心構え」の第5章を身をもって感じた瞬間でした。

 京平先生は、第1、2章ではおしゃれなどさまざまな経験はやがてペン先から言葉として返ってくると教え、第3章では制作中のスタジオでは思ったことをその場で言うことと説きました。第4章では数を書いて上手になりなさいと僕に書く機会をくださった。そして最終章は「時代の潮目の変化に対応して、その低空飛行の時の凌(しの)ぎ方」でした。

 ソロアイドルが黄金期を築いた80年代。僕は中森明菜さんのほか、荻野目洋子、菊池桃子らの作品に携わっていました。京平先生とは出会った83年に歌詞を書いた河合奈保子「エスカレーション」がヒット。感情豊かな河合さんに合う言葉を探そうと、アイドルの新しい方法論をいつも考えていた僕に、「今は理解できないかもしれないけれど、アイドルブームもいつかは必ず終わる」と京平先生は告げました。

 というのも66年に作曲家としてデビューしたご自分が経験し、対応策を見いだしていたからでした。先生はヴィレッジ・シンガーズ、オックスなどが人気を博した70年代にグループサウンズ(GS)や、郷ひろみ、南沙織、いしだあゆみ、野口五郎、岩崎宏美を筆頭にしたアイドルブームをけん引。吉田拓郎らシンガー・ソングライターの出現によってブームが終焉(しゅうえん)を迎えると、桑名正博、庄野真代、大橋純子らのボーカリストを探し、数々のヒット曲を生みました。「苦境をどう凌ぐかを考えておきなさい」と教えてくれたのです。

 講義から約10年後。僕は90年代のバンドブームの中から誕生したミスチルによって、その危機を目の当たりにします。桜井さんが作る詞も曲も歌も最高でした。どう凌ぐか焦りましたね。

 ミスチルが所属するレコード会社「トイズファクトリー」の稲葉貢一社長に電話し、真っ先に桜井さんが乗っている車を訊(たず)ねました。当時の僕は72年型のメルセデスSEクーペとSLコンバーチブルと趣味性の塊の2台。桜井さんが実用的なフォルクスワーゲンのゴルフのワゴンだと知った僕は「Japan as No・1の時代の終焉だ」と悟りました。

 当時桜井さんは24歳。19歳年下の男の出現によって、僕はボルボのステーションワゴンに乗り換え、住まいの引っ越しもしました。そのくらい大きな衝撃の出会いでした。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「中居正広」特集記事

芸能の2025年8月28日のニュース