林家染太 イジメも戦争もいらない 8月5日に天満天神繁昌亭で独演会

[ 2025年7月27日 11:00 ]

入門二十五周年記念「林家染太独演会」を開催する林家染太
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 【古野公喜のおもろい噺家み~つけた!】四代目林家染丸に入門して四半世紀。林家染太(49)が「入門25周年記念 林家染太独演会」(8月5日、天満天神繁昌亭)を開催する。「愛媛の松山から大阪に出て来て、お世話になった方、ファンの皆様に恩返しができるような落語を丁寧に演じたい」と意気込みを語った。

 染太は小中学校時代にイジメに遭ったという。学級委員長をしていた時、イジメにあった同級生の止めに入って「ターゲットが自分に代わった」。学校に行くのがいやで、死さえも考えたそうだ。両親にも誰にも相談できず悶々(もんもん)としていた中、ただ一人相談に乗ってくれたのが母方の祖父で薬剤師だった新川保さん(14年、92歳で死去)だ。

 「祖父は悲しい顔をして“気づかんかった。でも、死ぬなよ。生きていれば必ずおもしろいことがあるから”と言ってくれた」という。その祖父の影響で落語に触れる機会があり、さらに中学の友人に誘われて松山市内で開催された桂枝雀さん(99年死去)の独演会に出かけた。「人の人生を狂わせるぐらいおもしろい落語でした」。枝雀さんの落語に衝撃を受け、自身も噺家になる夢を持つようになった。

 その後、枝雀さんとは奇妙な縁でつながった。学生時代、アルバイトしていた牛丼店で知り合った金髪のハードロッカーが、実は枝雀さんの次男。「半年間、知らなかった。一緒に枝雀さんの落語を聞きに行ったり、枝雀さんのCDを貸したりしてたんです」と苦笑いだ。枝雀さんの自宅にも招かれたことがあるそうだ。

 また、好きな英語の勉強のために大学1年から英会話学校に。偶然にも枝雀さんもその学校の生徒だった。授業前にサインをねだると、人目を忍んで変装して勉強しに来ていた枝雀さんは、不機嫌そうな顔。「それでも色紙には“万事、機嫌良く”と。どこがやねんって」と懐かしいエピソードを披露した。

 両親に噺家になる夢がバレて勘当状態に。それでも大学は高校国語の教員免許を取ってから5年かかって卒業した。寄席で聞いた染四代目染丸に惚れて弟子入り志願。「師匠の本名が行志で、私の本名が志行と上下が逆。それですぐに弟子入りがかなった。親に感謝ですかね」と笑った。

 得意の英語を生かして、アメリカやイギリスで英語落語。さらにフランス語、スペイン語での落語や、ハンガリー語、アイスランド語での小咄にもチャレンジした経験がある。

 今回の記念公演では20年前に創作した「命のたすき~いじめられっ子の僕とシベリア帰りのお爺ちゃん~」を演じる。祖父・保さんが学徒出陣で満州へ渡って、玉砕寸前に終戦を迎えて捕虜となり、日本へ帰還した話。幼少期から何度も聞かされて、その実話を基にしてアップデートを繰り返して練った自信のネタだ。

 「ちょど戦後80年。今やるしかないと思いました。50分の長い話で、祖父が捕虜になってイルクーツクに連れて行かれた体験談。“生きてたらいいことはある”という話です」と腕ぶしている。子どもの頃のイジメの当事者として「生の声で子どもたちにイジメについて訴えたい。つらい、悲しい思いをしている子たちを笑顔にしたい」と続ける講演とともに、祖父に代わって戦争体験の語り部としても活動を続ける。

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