【細川たかし 我が道2】小4で農家の立派な労働力 農地は東京ドーム1.5個分の広さ 冬は冬眠状態

[ 2025年6月2日 20:00 ]

歌手デビュー直後、帰省時に父・松次郎と腕相撲をする細川たかし
Photo By 提供写真

 北海道虻田(あぶた)郡真狩(まっかり)村桜川、という場所が故郷です。今や世界的人気のスキー場として有名なニセコの近くです。1950年(昭25)6月15日、ジャガイモ農家の細川松次郎、ヨミ夫妻の末っ子として生まれました。一回りぐらい年上の長女・ハナエ(故人)、10歳年上の長男・政光、7歳上の次女・キミエ、3歳上の三女・サチ子の5人きょうだい。オヤジが40歳の時の子供だったので、相当、可愛がられたようです。

 細川家はジャガイモ畑が7町歩、田んぼを1町歩持っていました。1町歩は10反、つまり3000坪、約1ヘクタールなので7ヘクタール。だいたい東京ドーム1.5個分の広さです。ジャガイモは1反で3トン収穫できるといわれるので200トン以上取れる計算です。米も1反で500キロといわれるから5トン。味噌もしょう油も自家製なので、食べ物には困ることはありませんでした。むしろ、問題はその広さ。芋や苗を植えたり、掘ったりするのは重労働です。一家総出で働くのですが、それでも人手が足りません。7月から10月の農繁期は、岩内という日本海に面した海辺の町から2家族ぐらい、季節労働で手伝いに来てもらっていました。ニワトリも50羽ぐらい放し飼いにしていて毎日、卵が取れたので、その2家族分の食事を含めても余裕がありましたね。

 ジャガイモは、そのまま出荷するだけでなく「でんぷん粉」として精製して売っていました。地域の農家と共同で「でんぷん工場」を持っていて、そこで「でんぷん粉」にするのです。貴重な収入源でした。昼間は芋掘りし、その芋を夜、工場に運びます。だから工場は24時間稼働。芋を運ぶ仕事も手伝いました。真っ暗だから、夜空の星がやたら近くに見え、凄く奇麗だったことを覚えています。

 小学校4年生ぐらいになると、立派な労働力としてカウントされます。これが本当にきつかった。芋を植えたり、掘ったりするのって、めちゃくちゃ足腰が痛くなるのです。でもそのおかげで足腰が強くなり、発声の土台ができたのでしょう。羊蹄山の伏流水が染み出す井戸水の生活ですが、トイレと風呂は家の外でした。五右衛門風呂で、その風呂に近くの川から水くみするのが、私の大事な仕事でした。学校から帰ってくると、バケツで30杯ぐらい水をくみ入れるのが日課でした。

 冬はとにかく寒い。氷点下15~20度になります。1・5メートルぐらい雪が積もります。よく「雪が泣く」といわれますが、夜中に冷えてくると、外でキシキシと音がするのです。冬の間、ずっと雪に埋もれたまま生活するのです。ほとんど冬眠状態でした。

 年齢が近いのは姉2人なので、家の中で姉たちと遊ぶしかありません。お人形さんごっこやおままごとなど、ほとんど女の子にされて遊んでいました。地域の子供も少なく、通った知来別(ちらいべつ)小は全校で70人。私と一緒の卒業生は13人でした。

 ◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の74歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。

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