石井ふく子プロデューサー「さよならは言わず、またねと」

[ 2012年12月8日 06:00 ]

森光子さんの本葬に参列し、献花を終え囲み取材を受ける萩本欽一

森光子さん本葬

(12月7日 東京・青山葬儀所)
 【森光子さんを悼む声】

 ▼石井ふく子プロデューサー 今年10月にお会いした際、少しだが会話できた。いつもは、私が舞台をする際に多くの差し入れを下さいます。それができなかったので「ごめんなさい」と謝っておられた。放浪記を演じられないことを「悔しい」とも言われていた。年末はよくウチに来て、お正月を迎えてくれた。さよならは言わず、またねと言った。

 ▼萩本欽一(約40年の付き合い) 私の家に来てくれたことがあったが、しゃれと冗談、鼻歌の連発だった。去り際に「またコントしましょうね」と言ってくれた。相手に合わせて喜ぶ言葉を選ぶのが上手。きょうも寒い中、3時間も4時間も(一般弔問の)おじさん、おばさんがたくさん並んでる。あれを見たら森さんの人柄が分かる。

 ▼浜木綿子(放浪記で共演) さまざまな分野でのご活躍、あらためて感服します。(61年の)「放浪記」初演の際、膨大なセリフ量に悲鳴を上げてたけど、覚えの早い方でした。益田喜頓さん、市川段四郎さんら初演で一緒だった人は、みんな上にいます。また初演しましょう。私もすぐ行きます。もうちょっと待って。

 ▼赤木春恵(戦中の慰問劇団から約70年の付き合い) 悲しいときや経済的につらいときも、相談し合って乗り越えてきた。ミツさん、アヤちゃん(赤木の本名から)の付き合い。思い出は体中に詰まっている。進取の気性が凄いあった人で、若い人の歌もいつの間にか覚えていた。

 ▼左とん平(「時間ですよ」などで共演) お母さんのような存在。ずいぶん苦労させたかな。お世話になりました。表では明るい雰囲気を出してたけど、本当は寂しい人だったのかもしれない。

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2012年12月8日のニュース