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K―ness. 人生が変わったターニングポイントとは?命をかけて最後のリングへ「完全に燃え尽きる」

[ 2022年3月18日 07:00 ]

K―ness. FINAL ROAD(下)

4月7日に現役を引退するK―ness.
Photo By スポニチ

 4月7日、DRAGONGATE後楽園ホール大会で現役を引退するK―ness.(47)がスポニチアネックスのインタビューに応じた。引退が間近に迫った現在の心境を語り、そして今までのレスラーキャリアを振り返った。2回にわたり連載する今回が2回目。

 ――今までのキャリアを振り返ってみるとどんなキャリアでしたか?
 「自分はみちのくプロレスでデビューして、その後にレッスル夢ファクトリーという団体にいたんですね。そこからメキシコに行って、闘龍門に合流したんですけど一生懸命で26年間はあっという間に時間が過ぎちゃったって感じですね」

 ――毎日が楽しかったんですね。
 「練習生時代には辛いことしかなかったんですけど、今思えばそのおかげで身体的にも精神的にも強くなれたというのはあります。試合でも他団体も含めて色んな団体に上がったり、今では海外のスーパースターみたいな選手と対戦できたり、財産が凄く多いです。好きなことしかしないで生きてきたんですけど、ファンだった時は全団体録画して見るぐらいのプロレスヲタクだったので、そういう人間がプロになってプロレスを楽しめて、とにかく毎日が楽しかったですね」

 ――キャリアの中でターニングポイントだと思った時はいつでしたか?
 「やっぱりダークネス・ドラゴンに変身したこととドラゴン・キッドとのマスカラ戦ですね。キッドとのマスカラ戦をやってなければ今のK―ness.はなかったと思うので、それが一番のターニングポイントでしたね。あれで人生が変わったと思います」

 ――人生が変わったターニングポイントでもあったんですね。
 「はい。当時は毎日必死にやってましたね。余裕はなかったですね。キッドとは2年間抗争していて、絶対に負けられなかったですし、毎日試合へのプレッシャーが凄かったです。当然、正体が絶対にバレてはいけませんでした。道場にいる練習生の中には辞める練習生もいるので素顔がバレちゃいけないと思って、マスクを被って練習もしてました。移動の時もマスクを被って、ホテルもダークネス・ドラゴンでチェックインして部屋入るまでマスクを被っていました。その当時の練習生にご飯を買ってきてもらうようにお願いして、とにかく絶対に正体をバレないように徹底して生活してましたね。外も歩けない苦しさもありました。だからこそマスカラ戦でマスクを脱いだ時にファンの皆さんが驚いてましたね」

 ――その2年間は正体がバレないようにかなり徹底して私生活も送っていたんですね。
 「MAKOTOという名前で一回デビューしてからダークネス・ドラゴンに変身したんですけど、別人になるためにその時は1ヶ月で13キロ減量しましたね」

 ――1カ月に13キロ減量は凄いですね。
 「それで正体がバレなかったっていうのもありましたね。ダークネス・ドラゴンになると決意した時点で身体も変えることも決意しました。MAKOTOの時はぽっちゃりしていたので、カッコイイ体のダークネス・ドラゴンを見て絶対に同一人物とはわからないですからね。それも狙いでした」

 ――現在、吉岡有紀選手がK―ness.選手の技であるダークネスバスターを使っています。どのような経緯で継承することになったんですか?
 「今の吉岡のポジションが昔の自分と被る部分があると思ったんです。自分はダークネス・ドラゴンからK―ness.になって、吉岡もダイヤ・インフェルノになってから今は素顔になりました。ダークネス・ドラゴンはキッドと抗争して、インフェルノはドラゴン・ダイヤと抗争してました。何か似てるものがあったので、吉岡しかいないだろうと思って吉岡に話しをしたら『ぜひ』ということだったので伝授しました」

 ――U―T選手が先日、K―ness.選手のオリジナル技である青き光や光の輪を使ってましたが、若い選手たちに自身の技を継承する予定はありますか?
 「もう全部継承しましたね。今試合で使っているのは吉岡とU―Tだけですね。あとダイヤにだいぶ前ですがヴァンパイア・シザースを継承したというかダイヤの場合は『使ってもいいですか?』と言われたので『もう俺できないからいいよ』という形でしたね。もう全部教えてあるので、あとはどこで出すのかは本人次第なのでファンの皆さんには実際に見て楽しんでほしいですね。大事なところで使ってほしいですね」

 ――自分の技を残していきたいという気持ちもあったんですか?
 「そうですね。オリジナルの技でもありますし、自分がいなくなってもK―ness.が残していったものがあれば永久に見続けられるという思いがあって残していきたいなというのがありました。忘れないでほしいという気持ちもありました」

 ――自分自身が引退して以降のDRAGONGATEは、どんな団体になってほしいと思っていますか?
 「もっともっと大きくなっていってほしいですし、若い子たちもどんどん成長して日本一の団体になってほしいです。自分たちもそれを目指してやってきましたからね」

 ――引退試合ではどんな姿をファンの人に見せたいですか?
 「今はトレーニングも全くできないので、身体が小さくはなってますし、リングに上がって練習もしてないです。正直ぶっつけ本番みたいな形で実際にどうなるかはわかりません。実際に身体が動くのかもわからないです」

 ――その状態で不安はないですか?
 「恐怖と不安しかないですね。でも出来るという変な自信はあるので今までやってきたことで補えるんじゃないかなという気持ちだけで身体は動くんじゃないかなと思っています。その日で終わりですからね。命をかけてリングに上がります」

 ――最後にファンの方へメッセージをお願いします
 「26年間、本当にありがとうございました。最後の試合になりますけど最後は完全に燃え尽きて悔いのない試合をしますのでぜひ会場にお越しください」(終わり)



 《引退試合前最後の後楽園で“ジミーズ”復活》3月3日に開催された後楽園大会ではK―ness.がかつて所属していたユニット“ジミーズ“が一夜限りの復活。K―ness.はセコンドとして試合を見守った。試合後にK―ness.はマイクを持って「Final Burst Out!K―ness. Forever」という大会名が付けられた4月7日の後楽園大会での引退試合の対戦カードを発表した。引退試合は本人の希望で団体を代表するタッグチーム“クネスカ“のパートナーである横須賀ススムが隣に立って、相棒K―ness.の最後に華を添える。対角に立つのは永遠のライバルであるドラゴン・キッドとK―ness.が弟分と呼ぶKzyとタッグマッチで対戦する。

 ◇K―ness.(くねす)1974年4月16日生まれ、本名は齋藤誠。東京都出身の47歳。1995年にみちのくプロレスに入門。1996年にプロレスラーデビュー。同年にレッスル夢ファクトリーに移籍してMAKOTOというリングネームで1999年まで在籍。その後、フリーで闘龍門JAPANに参戦。2000年には謎のマスクマン、ダークネス・ドラゴンとしてドラゴン・キッドと2年間抗争した末に2002年のマスカラ・コントラ・マスカラ戦で敗れてマスクを脱いで素顔を公開した。その後はマスクも一新してリングネームもK―ness.として登場。2003年には吉野正人(当時YOSSINO)とともに団体の中軽量級ベルトのオープン・ザ・ブレイブゲート王座を創設。2010年1月にオープン・ザ・ブレイブゲートを初戴冠。タッグでは団体を代表する横須賀ススムとのタッグチーム“クネスカ“で2010年5月にオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ(現オープン・ザ・ツインゲート)を初戴冠。15年には団体のタッグリーグ「Summer Adventure Tag League」で優勝。そして2021年の12月末に引退発表。今年4月7日に現役を引退する。

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