×

アントニオ猪木氏「若くベストな時に勝負できた事が走馬灯のように…ストロング小林選手、ありがとう」

[ 2022年1月6日 22:27 ]

74年、ストロング小林を攻めるアントニオ猪木(奥)
Photo By スポニチ

 ストロング小林のリングネームで活躍した元プロレスラーの小林省三(こばやし・しょうぞう)さんが昨年12月31日に都内で死亡していたことが6日、分かった。81歳だった。東京都出身。

 訃報を受けアントニオ猪木氏は「小林選手との一戦は“昭和の巌流島”と呼ばれ、入り切れないほどの多くの観衆に観ていただきました。お互い、若くベストな時に勝負が出来た事が走馬灯のように思い出されます。ストロング小林選手、ありがとう」とコメントを寄せた。

 小林さんは国鉄(現JR)勤務中にスカウトされ1966年に国際プロレスに入団。翌67年には日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」でデビューした。その後は素顔に戻るとエースとして活躍。74年3月には新日本プロレスのアントニオ猪木と蔵前国技館で対戦。原爆固めで敗れたが、当時としては珍しい団体の枠を超えた日本人同士のベルトをかけた戦いは「昭和の巌流島」と呼ばれ、猪木の名勝負となった。

 84年の引退後は芸能界に転身し「ストロング金剛」という芸名で映画やドラマ、バラエティー番組などに出演。TBS「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」の悪役で人気を博した。

 ストロング小林 1940年(昭15)12月25日生まれ、東京都本郷出身。戦時中に現在の青梅市に疎開し、同市で育った。力道山に憧れてボディービルを始め、プロレスラーに転向。得意技はアトミックドロップ、逆エビ固めなど。1984年8月26日に現役引退後、「ストロング金剛」として芸能活動を開始。映画「塀の中の懲りない面々」(87年)、NHK大河ドラマ「太平記」(91年)などに出演。TBS「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(86年)では悪役として参加者を追い回し恐れられた。

続きを表示

この記事のフォト

2022年1月6日のニュース