【駒田徳広 我が道12】王監督に「ちょっと勉強してこい」勧められて荒川道場へ

[ 2026年5月13日 07:00 ]

84年5月2日の大洋戦で代打満塁本塁打を放ち、王監督に出迎えられる
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 プロ初打席満塁本塁打デビューから5日後、1983年(昭58)4月15日から甲子園で阪神3連戦があった。高校時代に行けなかった夢の球場。初めて足を踏み入れ、ドキドキだった。

 16日の2戦目は槙原寛己が延長10回を投げ切り、プロ初登板初先発初完封の快投を演じた。私は6回先頭の藤田平さんの打球をトンネルし、スタンドから一斉に「下手くそ!」コールの洗礼。槙原が頑張って後続を抑えてくれて助かった。

 そして17日、阪神の伊藤宏光(本名は文隆)さんが先発した3戦目に5打数4安打3打点をマークした。2回に一、二塁間を破る先制タイムリーを打ったのをよく覚えている。

 だが、連続スタメンは12試合でストップ。一生懸命やっているだけで、疲れていることに気づかない。だんだん打てなくなっていった。一塁のポジションは山本功児さんと併用になり、5月5日には故障が癒えた中畑清さんが復帰。完全に控えかと思っていたら、5月6日の中日戦(後楽園)の試合前、「お前、今日外野だ」と言われた。

 レジー・スミスが前日の試合で三塁に滑り込んだ際に右膝を痛めたのだ。急にノックを受けて6番・右翼で先発出場したが、打球が飛んでくるのが怖かった。2軍にいた前年、イースタン・リーグで外野を守ったのは12試合。平和台球場のナイターでエラーを2個して「外野は無理」という烙印(らくいん)を押され、それ以来守っていなかった。
 誰だったか右打者の右中間の打球を捕って落ち着いたが、そのうちライトも功児さんと併用になった。6月末にレジーが復帰してからは、もっぱら代打要員。たまに代走もあった。

 夏が近づくにつれて疲れが出て成績は下降。5月上旬まで3割あった打率は8月末に2割4分台まで落ちた。涼しくなってきて盛り返し、最終的には・286。86試合に出場して12本塁打、47打点という成績で1軍デビューのシーズンを終えた。

 この1年を振り返ると、よくやれたと思うし、もっと打てたとも思う。裏付けは何もないのに、もっと打てるようになると思っていた。大いなる勘違いだった。

 王貞治さんが監督になられた翌84年は開幕から代打要員。シーズン初安打まで9打席(7打数)を要した。5月2日の大洋(現DeNA)戦、3―4と1点差に追い上げた4回1死満塁で代打で出ていった時、電光掲示板に表示された数字は「・077」。打席に入る前、捕手の若菜嘉晴さんに「なんだ、お前の打率は」とあきれられた。

 この打席で遠藤一彦さんから右中間へ生涯2本目の満塁本塁打をかっ飛ばすのだが、技術的に確かなものは身についていない。数日後、王監督に「ちょっと勉強してこい」と一本足打法の師匠、荒川博さんの指導を受けるよう勧められた。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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