TDK・前田一輝 徳島県の両親が見守る前で感謝の一打 4年目の今季こそ外野のレギュラー獲得誓う

[ 2026年5月5日 13:00 ]

レギュラー獲得を狙うTDK・前田一輝(提供写真)
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 両親に対する感謝の思いが、白球に乗り移った。TDKで入社4年目を迎えた前田一輝外野手(21)は徳島県小松島市出身。JABA静岡大会で奮闘する姿を見届けようと、父・敏視さん、母・光江さんが故郷から駆けつけていた。Honda鈴鹿との試合会場だった浜松球場までは、自宅から車で5時間以上は優にかかる。スタンドから声援を送ってくれた二人を何としても喜ばせたい――。6回の第2打席。カウント2―2からの5球目を右前へ痛烈に弾き返した。。

 「二人には本当に感謝しています。高校時代、下宿していた時も本当に助けてもらって。見に来てくれた試合で打てたことは良かったですが、都市対抗予選、本戦でも結果を残してレギュラーを勝ち取って、応援に応えたいと思います」

 まぶたを閉じれば、あの時の光景がよみがえってくる。鳴門高(徳島)での3年間は、鳴門市内のアパートに下宿して野球に打ち込んでいた。サポートのため同居していた母は朝食などの用意を終えると、小松島市内の職場まで片道1時間以上かけて通勤。「当時は家が2つある感じで。凄く大変だったと思います」。前田がそう振り返るほど過酷な生活には違いなかったが、母は息子のために毎日、毎日、美味しい食事をつくってくれた。両親の期待に応えるべく、3年の春夏は4番打者として甲子園大会に出場。高校生離れした長打力が認められ、TDKへの入社を決めたのだった。

 新人だった23年3月の東京スポニチ大会には2試合でスタメン出場。順風満帆にキャリアを積み重ねていくかに見えたが、激しい定位置争いの末、徐々に出場機会を失っていった。

 「1年目からスタメンで使っていただいて期待されているんだと思いつつ、結果を残すことができませんでした」

 高校時代には想像すらできなかった、もがき苦しむ日々。オープン戦でも納得するような結果を残せなかったが、目の前の一日、一日を全力で過ごすことだけは忘れなかった。

 「どうすれば試合で結果を残せるのか。そのことばかりを考えていました」

 そんな前田のひたむきな姿を仲間は見ていた。潜在能力を引き上げようと、首脳陣だけではなく、先輩たちも惜しみない助言を送ってくれた。何度も何度も励ましてもらったからこそ、前を向くことができた。

 「お前なら、大丈夫だから」

 練習パートナーを買って出てくれたのは、同じ右打ちの外野手だった山田利輝さんだった。個別練習ではティーを上げてくれ、前田のフォームを細かくチェック。長所、短所を理解した上で、試合後には修正すべき点を的確に伝えてくれた。そんな頼れる先輩は、24年のシーズンを最後に勇退。送別会では熱い言葉を送られ、胸を熱くした。

 「俺はいなくなる。これからは全部、一人で乗り越えていくんだぞ」

 できることは何でもやる――。翌25年、投手との二刀流に挑戦したのは、山田さんと交わした約束とも無関係ではないだろう。JABA長野大会・明治安田戦ではリリーフも経験。投手目線を新たに知れたことが最大の収穫だった。前田が言う。

 「こういうことをされたらバッターは嫌だろうなとか、タイミングや間(ま)も勉強になりました」

 自分が投手なら、どう攻めるか。今までにはなかった視点が、打者としての成長を促している。同じ静岡大会でスタメン起用されたエイジェック戦では、7回1死一塁から右前打。カウント2ストライクからの3球目、泳がされながらも外角低めのスライダーを左手で拾うことができた。

 「決めに来た変化球だったと思います。投手をやったことが生かされた打席でした」

 プルヒッターだった前田にとって、逆方向へ打てたことで自信も芽生えた。7打数3安打だった静岡大会終了後、山田さんに報告すると、こんな言葉が返ってきた。「めっちゃ打ってたじゃん」。ほんのわずかでも、これまでの努力が報われた瞬間だった。 

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