阪神ドラ5能登嵩都(上) 旭川大高・端場監督との出会いで飛躍 1日300球投げ込みで球速アップ

[ 2025年12月29日 05:15 ]

19年7月、夏の甲子園出場を決め、喜ぶ能登嵩都(右奥)
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 【アニバーサリーの鼓動】阪神が今秋のドラフト会議で指名した7選手が歩んできた足跡をたどる連載「アニバーサリーの鼓動」。最速150キロ右腕の5位・能登嵩都投手(24=オイシックス)は、今季イースタン・リーグで5冠(投手部門3冠+優秀選手賞、優秀投手賞)に輝いた実績を引っ提げ、猛虎の一員になる。全2回の第1回は、少年時代から、旭川大高(北海道)でエースになるまでの道のりを追った。

 友人からの熱烈な“スカウト”を受け、嵩都の野球人生が始まった。昼休みのドッジボールで剛速球を投げていた姿を見たクラスメートから、「そんなに球速いなら野球部に入らない?」と誘われ、小学4年時に野球部に入部。空手と水泳も並行していたが、「ボールを投げるのが好きで、本当に楽しかった」と気づけば野球にのめり込んでいた。

 幼少期から活発な性格で、両親や先生に怒られるのは日常茶飯事。保育園卒園後、制限なく一人で遊べるようになると、小学校の入学式を終えた日は校門の前で「自由だー!」と雄叫びを上げたほどだった。また、一本気な性格は今と変わらず、幼少期から服なども「これ」と決めたら即購入。天真らんまんな毎日を送りながらも、素振り100回は欠かさず、練習を投げ出すことは一度もなかった。

 小6で1メートル56と決して身長は高い方ではなかったが、中学校で急成長を遂げた。水やお茶はほとんど飲まず、毎日のルーティンは1リットルの牛乳を飲むこと。母・こずえさんは常に1リットルの牛乳パックを用意していたという。その生活のおかげで中学時代に約30センチ伸び、今の1メートル84という体格をつくり上げた。

 当初は捕手も兼任していたが、中1の秋に「キャッチャーは楽しくなかった。やりたいことじゃなかった」と投手一本に絞った。甲子園を目指し、強豪・旭川大高に進学。ここでの指導者との出会いが、嵩都を人として大きく成長させた。

 高校3年間は野球人生の中で最もしんどい時期だった。休みはお盆と正月のみ。当時の端場雅治監督(現部長)からは「人間性がどうにもならないと、活躍しても応援されない」と時に厳しくも愛ある指導で、礼儀を徹底的に叩き込まれた。

 技術面の成長も著しかった。冬には1日300球を投げ込み球速は約10キロ上がって3年春に最速140キロに到達。同時に制球力に磨きがかかり、四死球が減ったことで、この春には別人のように覚醒した。2年秋の段階でエースを託されたが、「能登で大丈夫かな」と心配していた端場監督の不安を見事に払拭。「そこで基礎をつくれたのは大きかった」と嵩都の地道な努力は確かに実を結んだ。(山手 あかり)

 ◇能登 嵩都(のと・しゅうと)2001年(平13)9月29日生まれ、北海道出身の24歳。小4時から野球を始め、旭川大高(現・旭川志峯)では3年夏に甲子園出場。桐蔭横浜大を経て24年にオイシックス入団。今季イースタン・リーグで防御率、勝利、勝率の投手部門3冠を獲得し、奪三振(表彰対象外)も1位。1メートル84、88キロ。右投げ右打ち。

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