社会人野球 三菱重工の大川広誉GMが退任 24年には三菱重工Eastを都市対抗優勝に導く

[ 2025年12月19日 15:00 ]

三菱重工・大川広誉GM

 三菱重工は19日、社会人野球チーム、三菱重工East(横浜市)並びに三菱重工West(神戸市・高砂市)を統括する大川広誉ゼネラルマネジャー(GM)が今季限りで退任することを発表した。大川氏は2021年にスタートした「三菱重工スポーツチャレンジ」の仕掛け人として、また自らの専門競技である野球部のGMとして三菱重工グループのスポーツ活動のマネジメント改革、チーム強化を推進。24年には三菱重工Eastを都市対抗優勝に導いた。退任に際し、スポニチアネックスのインタビューに応じた。

 ――2021年シーズンから三菱重工スポーツチャレンジを本格スタートさせ、野球部は広島、神戸・高砂、名古屋、横浜にあった4チームを三菱重工EastとWestの2チームに再編・統合し、これまでの5シーズンで都市対抗優勝など好成績をあげられましたが、振り返ってみていかかがですか?

 大川氏 「Eastは都市対抗では23年ベスト8、24年優勝、日本選手権では21年準優勝、22年、24年はベスト4、JABA大会は21年の北海道大会と23年の長野大会で優勝、Westは都市対抗では24年ベスト8、日本選手権では22年ベスト8、JABA大会は21年から京都大会3連覇という成績でした。三菱重工East・Westの両チームは、それぞれ母体とする横浜と神戸・高砂の選手と広島、名古屋から来た選手の混成チームとしてスタートしましたが、当初からEastの方がスタッフ・選手の平均年齢が高く、チームのライフサイクルの差で先にEastが良い成績を残すことはある程度予想していました。逆に言えば、『とにかく早くEastで日本一を獲らねば。ピークを過ぎたらチャンスを逃してしまう』というプレッシャーがありました。社内的には中期経営計画と同じスパンで、最初の3年を“強化期”、次の3年を“飛躍期”としていましたが、私の中では『3年以内に』と密かに目論んでいました。23年が3年目のシーズンで、チームとしても『今年こそ』と意気込んで都市対抗に臨みましたが、準々決勝で王子に敗れ、結局ベスト8止まりでした。しかし、その敗戦直後にチームが来年に向けてすぐさま前を向く姿を見て、『頼もしい、これは期待できるな』と感じたのを覚えています。24年シーズンはスタートからEastの佐伯功監督がチームにとにかく『都市対抗優勝』を強く意識づけして率いてくれました。大野、本間、長島の投手三本柱に対馬、小柳のベテラン、汐月、矢野、武田、江越海ら中堅に加え、その年にプロ入りした山中(現オリックス)、そして当時新人の中前、彼らに東芝から補強選手として来てもらった下山、斉藤、笹森が加わり、とても強いチームが出来上がりました。都市対抗優勝までの5試合すべてが厳しい場面の連続でしたが、毎試合、信じられないようなビッグプレーが出て念願の日本一を掴むことが出来ました。あの5試合は一生忘れませんし、監督以下、スタッフ、選手たちを誇りに思います。GM在任5年間で最大のハイライトでした。三菱重工は老舗チームとしては、観客が少ないことで有名でしたが(笑い)、勝つごとに観客が増えていくのが目に見えて分かりましたし、決勝戦では日本一を決める試合にふさわしい多くの方々が東京ドームに詰めかけてくれました。その大勢のグループ員の皆さんに三菱重工スポーツチャレンジサポーターズクラブのキャッチフレーズである“「三菱重工」が勝つとやっぱり嬉しい”を体感してもらえて、あの光景こそが私が目指していた姿を実現出来た瞬間でした。その年の年末には盛大な優勝祝賀パーティーを開催しました。当時の宮永会長、泉澤社長をはじめほとんどの役員の方々にも出席して頂き、大いに盛り上がっている姿を見て「本当に関係者全員が喜んでくれている」ということを実感して、それまでの努力、苦難、戦いのすべてが報われました。一方で、忘れてはならないのが、この優勝は、22年に大久保秀昭監督(当時、現チームディレクター)率いるENEOSが12度目の都市対抗優勝を果たした際に、Eastの本間、長島、武田が補強選手として大きな経験を積ませて頂いたことも要因として大きいと思います。そして、ENEOSに次ぐ、都市対抗7度の優勝を誇る東芝からの3選手が補強選手としてEastの優勝に大きく貢献してくれたことは、やはり神奈川が誇る名門の両チームの存在は偉大であると感じています。我々も両チームに追いつけるよう、まだまだ頑張らねばなりません」

 ――社会人野球におけるゼネラルマネージャーの役割をどう考えていますか?

 大川氏 「私は三菱重工神戸(当時)で2006年から11年までの6シーズン、監督を務めましたが、当時はとにかく監督の業務は守備範囲が広くチームを率いることは元より、社内外における調整業務がたくさんありました。もっと言うと、社内にスポーツ活動の専門部署もなかったので、チームのレベル、プレゼンス、ひいては活動そのものが、歴代監督のトータルのマネジメント能力が高くなければ“維持”できない環境にありました。“維持”というのは、うまくやっても“維持”することがやっとで、下手をすれば“衰退”しかない状況でした。これは、三菱重工に限らず、大半の企業のスポーツチームが陥っている構造で、これを根本から作り直さないとせっかく企業がスポーツチームを持っていても宝の持ち腐れだと感じていました。2011年に監督を退任後、本社社長室広報部(当時)に異動しました。当時は、当社の事業運営体制が事業所主体からグループ全体での経営に急速にシフトされている時期でもあり、当初はグループ全体のブランド戦略やインターナルコミュニケーションの業務に携わっていました。そんな中、2016年に三菱重工サッカー部が源流であるサッカーJリーグの浦和レッズの経営権が当社に戻り、広報部が所管部門となったことが大きな転機となりました。当社として、浦和レッズを通じてブランド力の向上を図りたいという目的がありましたが、ほどなくかねてから長らく腹案として抱いていたスポーツマネジメント組織の立ち上げの千載一遇のチャンスとして、さらに拡大して三菱重工グループが持つ、野球、マラソン、ラグビーのスポーツチームを加え、『三菱重工スポーツチャレンジ』という活動を2021年シーズンからスタートさせることが出来ました。そのタイミングで、スポーツ活動の専門部署である企業スポーツ推進センターを立ち上げ、各スポーツチームにゼネラルマネージャー(GM)を配置しました。三菱重工スポーツチャレンジは、チーム強化を基軸として、スポーツ活動を通じて、『社員エンゲージメント』『CSR・地域/社会貢献』『ブランド』の向上を図る活動ですが、GMはチーム活動の責任者として、ヒト・モノ・カネの経営資源の確保から執行を通じて、チーム強化を行います。GMという存在は、日本のスポーツ界においてはまだまだ確立されていないと思いますが、スポーツ界だけでなく、組織運営や人間関係が高度化、多様化している今日では、その存在は欠かせないですし、重要な役割を担うものだと思います」

 ――なぜ、このタイミングでGMを退任することになったんでしょうか?

 大川氏 「私は選手としての競技経験も監督の経験もあるGMで、監督の采配や選手起用についても時には口を出しますし、事前にゲームプランや選手起用の意図について説明を求めます。MLBのロサンゼルス・ドジャースが、先発投手のローテーションまでゴームズGMが決めているという報道を目にしたことがありますが、世界一のチームのGMはそこまでやるのかと驚くと同時に、GMという役職、権限が完全に確立されているんだなと感じました。GMと現場の権限の範囲の差はチーム毎に違いはあるにせよ、チーム運営を健全に行う上で最も重要で不可欠なことは“コミュニケーション”と“信頼関係”、そして“権限移譲”だと思います。私はチーム強化の責任者として、現状のチーム力、将来構想を見定めて、監督・スタッフを起用し、選手を獲得し、環境も整えます。現場と密にコミュニケーションを取ってGMの考えを現場に落とし込まないと、思うようにチーム強化が進みませんし、もちろん、現場からの意見の吸い上げも必要です。実際に最前線で戦うのは監督以下チームの面々なので、現場の意見も聞き入れ、“双方向”での意思疎通を図り、信頼関係を作っていかないと“勝てるチーム”にはなりません。今季限りで退任することについては、いくつか理由があります。まず、就任当初から自分の中で『5年』と決めていました。なぜなら、自分はGMという仕事をしたいとは思っていましたが、いつまでもそこにしがみついていたいという気持ちは最初からありませんでした。『5年以内に結果は出す。出せなければ自分にはその能力がないのだから潔く後進に道を譲る』と決めていました。同時に、後任の中根慎一郎(中京大中京高~慶大、元三菱重工名古屋、投手、41歳)には、2020年頃には『オレはこれからスポーツ活動の専門部署を立ち上げ、野球部のGMとなる。5年以内に結果を出して、次はお前に継いでもらいたいと考えているがどうか』と声をかけていたと思います。彼は一瞬考え込みましたが、すぐに私と一緒に船に乗ることを決めてくれました。彼は当時、名古屋の工場で民間航空機の部品調達の部門にいましたが、22年から慶大野球部で堀井監督の下、3年間助監督として経験を積むことになります。当時の中根の職場の上司であった川口さん、山本さんのご英断とご支援には本当に感謝しています。退任するもうひとつの理由というか、24年シーズン終了を境に色んな場面で自分に対する“求心力”が落ちてきていると感じる場面が増え、『潮時だな』と思うようになりました。24年シーズンまでEastとWestの両チ―ムが順調に成績を残していく中で、“慣れ”というものが出てきたのかもしれません。『こんな感じでは25年シーズンは危ないな』と思っていたら、案の定、両チームともこの5年間で最低の成績となる1年になってしまいました。これからEastもWestもまだまだ強くなっていかないといけないところ、5年間で慣れが出てきてしまったということであれば、カンフル剤としてはGMが交代するのが一番いいのではないかと思いました。オリックスの中島前監督がリーグ3連覇の翌年5位になって、“慣れ”や“緩み”、“当たり前のことが当たり前に出来なくなってきた”ことを理由に辞任されたのと同じ感じかもしれません。そういう点でも、年齢的にも若い中根には重責かと思いますが、彼は僕にはない視点や静かな強さみたいな良いものをたくさん持っていますので、両チームの手綱をしっかり握ってチーム強化を強力に進めて行ってくれるものと思います」

 ――最後に5年間のGM活動を振り返っていかがですか?

 大川氏 「寂しい思いはありますが、自分で決めたことですし、ひとことで言うと『全力でやりきったな』と思います。Eastで都市対抗の優勝旗である黒獅子旗を獲れたことは本当に嬉しかったですし、決勝戦のスタンドにかつてないほどたくさんのグループ社員や関係者の皆さんに応援に来てもらえて、そのうえ優勝して大喜びしてくれたのを見ることが出来たことが、“総合演出”としては最高の体験でした。今年の開幕戦は昨年の決勝戦を上回る数の皆さんが集まってくれました。勝利という形で期待には応えられませんでしたが、我々がそれだけ多くの人たちから支持され、応援される存在になってきたということは大いに実感することが出来ました。最大の心残りは、Westがまだ何も成果を上げられていないことです。Eastに比べてこれから大きく成長していく段階にはありますが少し時間がかかっています。中根GMの下、来季以降の飛躍に期待しています。一方で、Eastも“世代交代”という課題が目の前に差し迫っていますので、ベテランに頼りつつも2年目を迎える印出ら若い力を信じて思い切った転換を図ってもらいたいと思います。あと、大きな心配事は、社会人野球の行く末です。各企業チームは『都市対抗』、『日本選手権』という“大舞台“があってこそ(もちろんそれに代わるものを新しく作ってもいいですが)、その存在価値を示すことが出来ますし、まずは当事者であるチームを持つ企業にとって好都合なプレイフィールドでなくてはならないと思います。その上で、近年、社会人野球のレベルは益々上がっており、第三者の一般の方々が見ても非常に面白いコンテンツとしての魅力も高まってきていると思うので、“高校野球ファン”のように、特定のチームだけでなく、高校野球そのものが好きな方々が大勢いるように、“社会人野球ファン”がたくさん増えるようなやり方が出来ればいいと思いますが、言うは易しでその実現には多角的な視点でのグランドデザインと強力なリーダーシップと加盟企業による協力体制が必要になると思います」

 ――GM退任後は何をするか決まっていますか?

 大川氏 「GMを退任すると同時にスポーツの仕事からも離れます。今後は新しい分野での仕事を通じてさらに成長していきたいと思います。私は、かねてからリーダーの必須要素として『人望』『実績』『理論』のうち2つでも備わっていれば、最低限務まると考えてきましたが、昨今、役割や機能が細分化され、ノーハラスメントやコンプライアンスが叫ばれる世の中で、チームや組織という“人の集まり”を健全に“ひとつの固まり“として機能させるためには、やはり『人望』に当たる“人間性”の部分がリーダーの資質としては最も重要であると改めて感じました。GM生活の5年間で最大の学びかもしれません。今後の活動において、人としての魅力や深みというものをさらに追求し、磨いていけたらと思います。それと、最後になりますが、ここまで来るのに本当にたくさんの方に育てて頂きました。少し遡りますが、特に監督時代に出会った他チームの監督さんたちにはとても可愛がって頂きました。私は34歳で監督になりましたが、当時全国的にも最年少で、途中で同世代の監督も出てきましたが、40歳で辞めるまでずっと若い方でした。監督になる前の2年間はコーチを兼任していたとはいえ、現役選手からいきなり監督になって右も左も分からないところ、鷺宮製作所の松元監督、七十七銀行の村瀬監督を中心に、北からJR東日本東北・内海監督、富士重工・村田監督、日本通運・神長監督、日立製作所・鈴木監督、ホンダ・安藤監督、TDK千曲川・佐藤監督、西濃運輸・林監督、トヨタ・山中監督、王子製紙・棚橋監督、ホンダ鈴鹿・與本監督、JFE西日本・吉松監督ら社会人野球の大先輩たちにとにかくたくさんのことを教えて頂きました。また、当時は母校慶大野球部OBの監督も多く、西濃運輸・後藤総監督(大学4年時の恩師)、JFE東日本・蔵元監督、明治安田生命・竹内監督、JR東日本・堀井監督(現慶大監督)、セガサミー・青島監督、ENEOS・大久保監督(慶大1年生時の主将)、東芝・印出監督(慶大2年生時の主将)ら諸先輩の背中を追いかけていました。慶大の大先輩で東芝、ソウル五輪日本代表で監督を務められ、日本野球連盟の副会長をされていた鈴木義信さんには『大川の野球は田舎侍みたいで面白い』と言われ、『若い自分がなりふり構わずがむしゃらに采配しているのを誉めてくださったのだろう』とうれしく思ったのを覚えています。もう20年も前のことになりますが、皆さんには今でも可愛がって頂いています。これからもよろしくお願いします、と言いたいですね。(笑い)」

 ◇大川 広誉(おおかわ・ひろたか)1971年10月15日生まれ、神奈川県出身。光陵高(神奈川)から慶大を経て、1995年に三菱重工に入社。三菱重工神戸で強打の内野手として活躍。97年の日本選手権優勝に貢献、同年の社会人ベストナインに選出された。現役引退後は2006年から11年まで監督。12年からは広報部ブランド戦略グループ長などを歴任し、20年から企業スポーツ推進センター副センター長兼野球部GMを務めた。

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