ヤンキース時代の“恩人”黒田博樹氏がマー君祝福 「再び盛り返してこられたのは、情熱のたまもの」

[ 2025年10月1日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人4-2中日 ( 2025年9月30日    東京D )

14年、ヤンキースのキャンプで笑顔の黒田(左)と田中将
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 巨人田中将大(36)がヤンキース時代の14年にチームメートとしてプレーした黒田博樹氏(50)が本紙の取材に応じ、祝福のメッセージを寄せた。日米通算200勝は4人目だが、日本→米国→日本とキャリアを歩む「日米日」での達成は、16年の黒田氏以来、2人目。田中将のメジャー1年目にともに先発ローテーションで回り、今でも「恩人」と感謝されている大先輩は、偉業を達成した右腕に温かなまなざしを向けた。(取材・構成 奥田秀樹通信員)

 田中将大投手、日米通算200勝おめでとうございます。登板を見て一球一球の集中力、勝利への執念は若い頃と変わらないなと印象付けられました。ケガさえなければ、単なる通過点に過ぎない数字。それでも、ここ2年は手術の影響で思うような結果を残せない中、再び盛り返してこられたのは、野球への情熱のたまものであり改めて凄いことだと思います。

 楽天に入団してプロデビューした07年は、私のメジャー挑戦の前年でした。好きなタイプの投手でしたので、特に注目して見ていました。マウンドで闘志をむき出しにして打者に立ち向かう姿。7年後、まさかヤンキースで同じユニホームを着ることになるとは想像もしませんでした。

 当時破格と言われた契約で挑み、相当なプレッシャーがあったと思います。ただ25歳という年齢は「これからやってやる」という気持ちと体のバランスが最も取れている時期。それが強みだったのでしょう。マウンドでは既に成熟していて年齢を感じさせず、若さゆえの力強いボールに加え、確かな技術も兼ね備えていた。何より精神的に強く、本当に素晴らしい投手でした。

 そんな彼が14年7月9日に右肘の違和感を訴えたのは、チームにも本人にも大きな衝撃だったはずです。1年目で、優勝争いが本格化していく時期。トミー・ジョン手術(側副じん帯再建術)を受けるかどうかは、非常に難しい判断だったと思います。これからのキャリアが待っている選手がそんな局面に立たされるのは本当に大変だったでしょう。

 今なら、7年契約の1年目ならば球団も手術を勧めるはずです。しかし当時はそうではなく、日本選手で手術から復帰して成功した例も少なかった。何より彼自身に強い責任感があったのだと思います。手術を受ければリハビリで少なくとも1年間はチームを離れることになる。優勝が義務付けられているチームで、そんなに長く離脱することは避けたいと考えたのでしょう。

 今だから言えますが、もしあの時手術を受けていれば、今もバリバリで投げ続け、250勝に到達していたかもしれません。ただ、そればかりは誰にも分かりません。それでも肘が必ずしも万全ではない中で、ニューヨークでピンストライプのユニホームを着て、7年間エースとして投げ続けたことは、本当に素晴らしいことで、敬意を表したいと思います。これは投げた者にしか分からないかもしれません。ヤンキースは常にチャンピオンを目指す集団で、ファンもただ野球を楽しむのではなく「ヤンキースが勝つ試合」を見に来ている感覚でした。

 日本に戻ってからも難しさはあったと思います。私はツーシームなどボールを動かすスタイルでしたが、日本から米国へ行く時と、戻る時とで、変化の仕方が違い、アジャストがとても難しかった。メジャーに行く時も大変ですが、帰ってきてからも難しい。同様のストレスを抱えていたかもしれません。

 気候も大きく違います。日本の夏の暑さは異常なほどです。アトランタやセントルイスは暑いですが、今の日本はそれ以上です。ロサンゼルスは一年通じて快適で、ニューヨークも四季はあるものの暑い時季は長くありません。日本の気候はかなり負担を与えたのではないでしょうか。

 そうした全てを乗り越え、200勝に達しました。まだ通過点に過ぎないと思います。これからも勝ち星を重ね、若い投手たちに日米で戦い抜いてきた背中を見せ続けてほしいなと願っています。

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