【内田雅也の追球】苦しみを越えてこそ

[ 2025年6月29日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―0ヤクルト ( 2025年6月28日    神宮 )

<ヤ・神>5回、先制2ランを放った森下は一塁を回ってガッツポーズ(撮影・木村 揚輔)
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 阪神・森下翔太の決勝2ランは11試合ぶりだった。今月12日の西武戦以来である。

 この間、2割8分台だった打率は2割5分台まで落ちていた。厳しい内角攻めにあい、死球も相次いだ。自打球を受けている。チームも7連敗を喫していた。

 前夜(27日)の三塁内野安打が5試合、20打席ぶりの安打だった。0―0の4回表無死一塁の打席で、初球にセーフティーぎみのバント(ファウル)を試みている。打てないなか、何とか次打者につなごうという意識のあらわれだろう。

 この日の本塁打も0―0で5回表2死二塁だった。「とにかく走者を還そうという気持ちだった」と語っている。チームのために……謙虚さと責任感が生んだ一撃だったと言える。

 そう言えば、外野守備兼走塁チーフコーチの筒井壮が「今年の森下はチームの中心選手という自覚が伝わってきます」と話していたのを思いだす。

 苦しんだ先にはヒーローインタビューで素直に「うれしいです!」と叫べる喜びが待っていた。

 苦しみを越えてこそ――と作家・林芙美子が語っている。「泣いたことのない人間はいやらしいし、怖いし、つまらない。やっぱり人間は落魄(らくはく)の味をなめて泣くだけ泣かなきゃ」

 昭和初期『放浪記』で一躍人気作家となった。今のプロ野球創設初年度36年には観戦記で、タイガースの松木謙治郎が死球を受けながら一塁まで走っていく姿に目をとめている。<職業野球はこれから益々発展してゆくだろう>と記した。

 戦後は『浮雲』など戦争に傷ついた庶民を描いた名作を残した。この日が忌日だった。この話は1951(昭和26)年、心臓まひで急死する4日前、NHKラジオの生番組『若い女性』に出演した際に語ったものだ。インターネットで聴ける。

 森下も心で泣いていたかもしれない。死球や自打球の痛みをこらえ、不振の苦しみを越えて本物となっていく。今後の成長が楽しみである。

 打線は実に9回のうち6度も得点圏に走者を置きながら、得点は森下の2ランだけだった。拙攻ではあるが、投手陣の好投で勝てた。

 143試合の折り返し、72試合目だった。試合開始午後2時のグラウンドレベルの気温は42度もあったそうだ。勝ったからだろうか。試合後の夕方は風も流れ、涼やかだった。 =敬称略=
 (編集委員)

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