中畑清氏 長嶋さん訃報のショックで当初は取材対応できず 「俺の方が先に死にたかった」 江川氏も悲痛

[ 2025年6月4日 05:25 ]

長嶋茂雄さん死去

1979年、長嶋茂雄監督(左)が見つめる中、猛ノックを受ける中畑清(中)。右は河埜和正
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 涙で言葉を詰まらせながら、中畑清氏(本紙評論家)は必死に声を絞り出した。

 「こんなこと、あってほしくない…。受け入れることができません、ほんとに…」

 この日午後、都内で巨人OB会の幹事会が開催された。OB会長でもある中畑氏は、そのショックの大きさから当初は「勘弁してください」と、集まった報道陣の取材を断ろうとした。「オヤジ」と呼んだ人生の師。その言葉からは深い悲しみがにじみ出ていた。

 うつむき、カメラの前で17秒ほど沈黙し「人生だったからね、俺の中の。今からもずっと背中を追っかけていきたいというのは俺の目標なんで。常に、死ぬまで…」。そして震える声で「俺の方が先に死にたかったぐらいですよ。悔しいです…」。長嶋監督の下、79年秋の「地獄の伊東キャンプ」で鍛えられ、主軸として活躍した。04年アテネ五輪では脳梗塞で倒れた長嶋さんに代わり日本代表の代行監督を務めた。節目節目で、そばには必ず長嶋さんがいた。

 同じく伊東キャンプに参加していた江川卓氏は「長嶋さんは、僕が野球を始めるきっかけになった、憧れの人でした」。小1の時、後楽園での試合後に球場を出てきた長嶋さんの姿を初めて見た。「大きい。カッコいい」。江川少年はその日からプロの選手を目指した。現役時代には感情をあまり表に出さなかったが、当時の長嶋監督から「野球をやる情熱を持て!歯がゆいぞ」と言われたことが忘れられないという。

 この日は槙原寛己氏(本紙評論家)、村田真一氏、宮本和知氏らも出席。雨の中、誰もが寂しそうに会場を後にした。 (鈴木 勝巳)

【由伸氏受け継ぐ「日本野球の伝道者」】
 OB会に出席した巨人元監督の高橋由伸氏は「今でも信じられません。(自身が)監督になっても力を頂き、プロ野球人として導き、育てていただいた」と感謝の言葉を口にした。97年ドラフト逆指名で当時長嶋監督が率いていた巨人に入団。「ウルフ」との愛称も付けられた。04年アテネ五輪の時には長嶋さんから「日本野球の伝道者たれ」と言われたといい「その気持ちは今でも受け継いでいる。これからも受け継いでいかないといけない」と話した。

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