長嶋茂雄さん 愛弟子・松井監督見ずに天国へ 「野球は人生そのもの」 脳梗塞後も不屈の闘志でリハビリ

[ 2025年6月4日 05:25 ]

ヘルメットを飛ばし豪快に空振りする長嶋茂雄 (1969年撮影)
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 巨人の4番打者、監督を務めた長嶋茂雄(ながしま・しげお)終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳。千葉県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は次女三奈(みな)さん。後日、お別れの会を開く。永久欠番となった背番号3を背負い巨人の日本シリーズ9連覇に大きく貢献。監督としては2度の日本一を含む5度のリーグ優勝に導いた。日本の野球界をけん引した「ミスタープロ野球」が天国に旅立った。

 日本野球の、スポーツ界の象徴だった「ミスター」が天国へ旅立った。入院先の都内の病院で、長男・一茂氏、次女・三奈さんら家族にみとられ、静かに息を引き取った。長嶋茂雄を愛した人たちの涙雨なのか、午前中から雨が降っていた。

 享年89。こよなく愛した野球(89)という年齢で、栄光の背番号「3」の日に亡くなった。くしくも6月3日は三奈さんの誕生日。午後に都内の自宅へ無言の帰宅を果たし、一茂氏と三奈さんは沈痛な面持ちだった。一茂氏は関係者を通じ「父にとって野球は人生そのものであり、最愛の存在でした」などとコメントした。

 04年3月に脳梗塞で倒れた長嶋さんは「必ず元気になるんだ。諦めた人生なんて面白くない」と不屈の闘志で厳しいリハビリを乗り越えた。右半身にまひが残るものの13年の国民栄誉賞表彰式の始球式では打席に立った。22年9月に都内の自宅で尻もちをついた際に後頭部を打ち、脳内に出血があり緊急入院。院内でリハビリを行い回復に努めた。そんな中でも野球愛は不屈でプロ野球に大リーグ、高校野球もテレビ観戦。体調を見て入院先から球場に足を運んだ。3月に東京ドームを訪れ、ドジャース・大谷を激励。それが公の場での最後の姿だった。

 「野球は人生そのもの」と語り、野球を愛し、野球に全てをささげた人生だった。立大から58年に巨人入団。59年6月25日の天覧試合では球史に残るサヨナラアーチを放ち「あの試合が最高の試合でした。いろんな意味でプロ野球を変えた。忘れようにも忘れられない」。プロ野球を国民的スポーツに押し上げる一戦となった。現役17年間で6度の首位打者、2度の本塁打王、5度の打点王、5度のMVPを獲得。王、長嶋の「ON砲」で不滅のV9に貢献。勝負強い打撃と華麗な守備は日本中を熱狂させ、屈託のない笑顔と奔放な言動は国民から愛された。高度成長期の象徴ともなり、笑顔と勇気を届け続けた。

 74年の現役引退後は巨人の監督として2度の日本一を含む5度のリーグ優勝。94年の中日との「10・8決戦」は「国民的行事」と表現し、社会現象となった。ヤンキースでも活躍した松井秀喜を育成。01年の勇退後はアテネ五輪の日本代表監督に就任したが、脳梗塞で倒れ、04年本大会での指揮は断念した。病魔と闘いながら願っていたのが愛弟子・松井氏が監督となる姿を見ること。「いずれ監督として日米の教えを取り入れた野球をやってほしい」。そう言って楽しみにしていたが、かなわなかった。

 昭和、そして平成を彩った不世出のスーパースター。昭和100年に当たる年に伝説は終わりを告げたが、長嶋茂雄は人々の心の中で永久に不滅だ。 (秋村 誠人)

 長嶋 茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日生まれ、千葉県出身。佐倉一(現佐倉)から立大を経て、58年に巨人入団。勝負強い打撃と華麗な三塁守備でファンを魅了し「ミスタープロ野球」と呼ばれた。1年目に本塁打と打点の2冠で新人王に輝き、17年間で首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度、セ・リーグMVPも5度獲得。巨人監督を75~80年、93~01年の通算15年務め、リーグ優勝5度、日本一2度。88年に野球殿堂入り。13年に国民栄誉賞を受賞。

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