長嶋茂雄さん死去 グラウンド内だけでも尽きない“ミスター伝説” 敬遠にバット持たずに打席へ

[ 2025年6月3日 10:09 ]

巨人監督時代の長嶋茂雄さん。西武とのオープン戦で、訪れた一茂、三奈さんとの笑顔の3ショット(1999年3月)
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 プロ野球の巨人の三塁手として活躍し、引退後は巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが3日午前6時39分、都内の病院で肺炎のため死去したと読売新聞グループ本社、読売巨人軍などが発表した。89歳だった。「ミスター・ジャイアンツ」などの愛称で親しまれ、グラウンド内外で数多くの逸話を残した。

 ☆ベース踏み忘れで大記録逃す ルーキーイヤーの58年9月19日の広島戦(後楽園)。左中間に28号ソロを放つも、一塁ベースを踏み忘れてダイヤモンドを一周。相手のアピールにより、本塁打は取り消しとなり、記録は「投ゴロ」に。この年、打率・305、29本塁打、37盗塁で文句なしの新人王に輝いたが、ベース踏み忘れがなければトリプルスリーだった。

 ☆敵将の助言でスランプ脱出 不調にあえいだ61年夏。長嶋はその晩の試合で対戦する、当時国鉄の監督だった砂押邦信氏の自宅を訪ねた。砂押氏は立大時代の監督。月明かりの下、石灰をまぶしたボールで守備練習を課すなど、猛練習で長嶋を鍛え上げた人物だ。その師に打撃フォームのチェックを願い出た。その数時間後の試合で本塁打を放ち「恩返し」を果たした。

 ☆バットを持たず打席 68年5月11日の中日戦。2死二塁の場面で相手ベンチが敬遠策をとった際、カウント2―0になるとバットを持たずに打席に立って抗議した。「敬遠は嫌いでした。お客さんは敬遠を見に来ているんじゃない、バットを振るのを見に来ているんだ」。71年6月17日の広島戦でも同様に、3ボールの時点でバットを放り投げ、素手で構えた。

 ☆荷物を忘れると大活躍!? 67年、敵地での阪急との日本シリーズ第1戦で、野球用具一式の入ったバッグを旅館に忘れて球場入り。関係者の尽力で何とか用具が間に合うと、その試合で5打数3安打3打点の大活躍。3勝2敗で迎えた第6戦では、旅館のスリッパを履いて球場入り。その試合でも1発を含む5打数3安打3打点で日本一を決めた。やはり並の精神力の持ち主ではない。

 ☆一茂置き忘れ事件 73年のある試合で、自分のプレーを見せようと息子の一茂氏を後楽園球場に連れて行った。一茂氏をスタンドに座らせて、自身は試合に没頭。帰宅後、妻に「一茂は?」と聞かれて、やっと思い出した。息子を球場に置き忘れてきたことを。

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