阪神 岡田顧問が弔辞「監督、声が出ないんです」吉田さんのお別れの会 体調不良をおして

[ 2025年3月25日 17:51 ]

吉田義男さんのお別れの会で弔辞を述べる阪神の岡田彰布オーナー付顧問
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 今年2月3日に脳梗塞のため、91歳で死去した元阪神監督の吉田義男さんのお別れの会が25日午後、大阪市内で行われ、師弟関係にあった岡田彰布オーナー付顧問が弔辞を述べた。

 以下、全文。

 監督、大事な時に声が出ないんです。体調壊して、本当もっとたくさん語りたかったんですけど、ちょっと聞きづらいかもわかりませんけど、監督聞いてください。

 また一緒にゴルフや食事に行けると思ってたのに、この度の突然訃報は今なお信じられません。悲しく寂しい思いでいっぱいです。

 私が吉田さんと初めて同じチームになったのは2度目の監督に復帰された1985年のシーズンでした。シーズンオフに吉田さんから二塁いけるか?と、外野でずっと過ごしてた自分が聞かれた時は、即答で行けます、と返事すると、セカンドへのコンバートを即断してくれました。その後の高知・安芸でのキャンプでは日が落ちるまで想像を絶するほどのハードなノックで鍛えられ、二遊間コンビを組んだ平田とともにディフェンスの大切さを徹底的に叩き込まれました。野球やってて「守りで攻めろ」と言われたのは吉田さんが初めてでした。

 吉田さんのご指導のおかげで個人としては打率、本塁打、打点ともにキャリアハイの成績を残すことができ、私にとってはプロ野球人生の転機になるとともに、チームとしては21年ぶりのリーグ優勝、球団創立50周年の節目の年に初の日本一を達成することができました。

 3度目の復帰をされた1998年は現役を引退してオリックスの2軍助監督兼打撃コーチをしていた私を阪神のファーム打撃コーチとして呼び戻していただき、今度は監督とコーチの立場でいろいろ野球の勉強をさせていただきました。

 今年阪神タイガースは創立90周年を迎えます。長い歴史の中で日本一を成し遂げたのはこれまで2回しかない中、吉田さんは初めて日本一を成し遂げた当時唯一の監督です。さらに2023年に吉田さん以来2度目となる日本一を、私が監督として成し遂げることができたのは当たり前のことを当たり前にやる吉田イズムを学ばせていただいたおかげです。阪神タイガースに日本一の強さを注入してくれた吉田さんは球団一番の功労者であり、私にとってはいくら感謝しても、しきれない大恩人です。

 そして、ひとつ今でも話の食い違いがあります。巨人戦での江川からのバント談議です。俺は絶対にサインを出していないと今でもこだわっていた吉田さん。ほんとはバントのサイン出てましたよ。3球目まではバントのサインでした。1ストライク2ボールになったらエンドランに変わるかなと思ってたら、本当にエンドランのサインが出ました。案の定レフトスタンドにホームラン打って、その試合勝ちましたよ。あれが最初で最後のバントのサインでした。これが本当の真実です。

 伝統球団である阪神タイガースはこれからもずっとファンに愛される強いチームであり続けるために、時代が変わっても吉田イズムをチームに、そして若い世代に継続していかなくてはならず、それが私の果たすべき役割だと思っています。その姿を温かく見守ってください。吉田さん、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。

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