【センバツ】敦賀気比が大勝!五十子“由伸フォーム”で7回零封「意思を曲げたくない性格」は帽子にも

[ 2025年3月20日 06:00 ]

第97回選抜高校野球大会第2日 1回戦   敦賀気比15―0滋賀短大付 ( 2025年3月19日    甲子園 )

<敦賀気比・滋賀短大付>7回無失点の好投を見せた敦賀気比・五十子(撮影・北條 貴史)
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 1回戦3試合が行われ、敦賀気比(福井)は滋賀短大付(滋賀)を15―0で下した。背番号10の五十子李壱(いがっこ・りいち)投手(2年)が、ドジャース・山本を彷彿(ほうふつ)とさせる投球フォームで7回零封。「7番・右翼」の大谷琉葵(るき)外野手(3年)は2安打1打点と躍動した。大リーグの日本開催で盛り上がる中、15年の選抜王者がド軍を連想させる快勝劇。横浜(神奈川)、沖縄尚学(沖縄)も2回戦に進んだ。

 東京ドームではなく、甲子園の高校球児が世界一軍団と重なった。敦賀気比の先発右腕は由伸のようで、打線は大谷が活性化させた。ドジャースの日本人選手を連想させる2人が躍動。7回3安打無失点、9奪三振と好投した先発の五十子は「意識していないけど、投球フォームが山本由伸に似ていると言われます」と頭をかいた。

 五十子は配球まで由伸のようだった。スライダーやカーブを織り交ぜつつ、生命線のカットボールを軸に攻めた。初回1死二、三塁から奪った2者連続三振は、直球とカットボールを結果球にして仕留めた。「変化球も交ぜて落ち着いていけ」。東哲平監督からの助言も生かし、4回からの4イニングは打者12人を完全投球。相手を寄せ付けなかった。

 見た目も由伸を思わせた。高校入学から帽子のつばを折り曲げずにかぶっている。「意思を曲げたくない性格で、投球に波もつくりたくない。つばを曲げたり、何にも波をつくりたくないんです」。身長1メートル70、67キロと決して大柄とは言えない投手であることも共通点だ。本人は意識せずとも、あらゆる要素がド軍の開幕投手で前日に白星を挙げた右腕を彷彿とさせた。

 背番号1だった昨秋の明治神宮大会では、沖縄尚学戦で負傷降板。「右腕肘頭(ちゅうとう)疲労骨折」と診断され、医師から「選抜は間に合わない」とも告げられた。その言葉を信じず、2月中に投球練習を再開。救援起用だった昨秋から一転、選抜初戦での公式戦初先発まで勝ち取って起用に応えた。

 打線は、右打ちの大谷が5回に左前適時打を放つなど2安打1打点と活躍。「ベンチで“まだいくぞ!”と声が出ていました」。福井県勢初、選抜では新基準バットが導入された昨春以降で最多の15得点を挙げた。大会最長だった4年連続の初戦敗退もストップ。隙のない打線までド軍と重なった。 (河合 洋介)

 ◇五十子 李壱(いがっこ・りいち)2008年(平20)8月23日生まれ、福井県鯖江市出身の16歳。小1から東陽少年野球部で野球を始めて投手などを務める。中学は鯖江ボーイズに所属。敦賀気比では1年秋から背番号11でベンチ入りし、明治神宮大会では背番号1。50メートル走6秒7、遠投90メートル。1メートル70、67キロ。右投げ右打ち。

 ▽「五十子」姓の由来 武蔵国児玉郡五十子村(現埼玉県本庄市)という中世の地名が起源とされ、戦国時代の戦いの舞台となった歴史を持つ。東京都、埼玉県、滋賀県など関東、近畿に多数見られ、以前は「いかこ」「いかご」とも呼ばれた。平安時代に貴族の間で行われた「五十日の祝(いかのいわい)」を由来とする説もある。

【選抜近年の珍名選手】

 ☆芦硲(あしさこ)晃太(星稜)24年に主将として4強入りに貢献。

 ☆洗平(あらいだい)比呂(八戸学院光星)24年2回戦で星稜の芦硲と珍名対決。

 ☆今朝丸(けさまる)裕喜(報徳学園)23、24年準優勝。24年ドラフト2位で阪神入り。

 ☆求(もとめ)航太郎(東海大相模)21年に背番号10で優勝メンバー。叔父は元阪神の平野恵一氏。

 ☆瀬(せ)千皓(天理)21年に4番打者としてエースの達孝太(現日本ハム)らと4強進出。

 ☆阿知羅(あちら)拓馬(大垣日大)10年に背番号10で4強。13年ドラフト4位で中日入り。

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