毒島章一さん死去 前立腺がん、87歳 東映一筋18年「ミスターフライヤーズ」歴代2位通算106三塁打

[ 2023年5月16日 04:00 ]

東映一筋18年で「ミスターフライヤーズ」と呼ばれていた毒島さん
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 東映(現日本ハム)で俊足の外野手として活躍し、西武スカウトとして辣腕(らつわん)を発揮した毒島章一(ぶすじま・しょういち)さんが14日午後9時35分、前立腺がんで東京都武蔵野市の病院で死去していたことが分かった。87歳。病院で最後をみとった長男の大輔氏(54)は「穏やかで本当に優しい父でした」と話した。2年ほど前にがんが見つかり闘病を続け、腰を痛めて歩行が苦しくなったこともあって球界とは疎遠になっていた。

 1954年に東映に入団。俊足を生かした打撃と堅守で、オールスター出場8度、ベストナインを3度受賞した。「三塁打の毒島」と呼ばれ、通算106三塁打はプロ野球歴代2位。61~62年に記録した「900打席連続無併殺打」は01年に金本知憲(広島)に抜かれるまでプロ野球記録で、現在もパ・リーグ記録。現役時は東映一筋18年で、温厚で真面目な人柄から長くキャプテンを務め、「ミスターフライヤーズ」と称された。

 引退後は西武の1軍総合コーチなどでチームの日本一を経験。さらに「球界の寝業師」と呼ばれた根本陸夫監督の下で西武のスカウトを務め、森繁和氏や松沼博久、雅之兄弟の獲得などに尽力した。大輔氏は「物心がついた時は父はスカウトでした。他のお父さんと違って平日も家にいる。“何の仕事をしているんだろう”と思ったものです」と当時に思いをはせた。

 毒島 章一(ぶすじま・しょういち)1936年(昭11)1月14日生まれ、群馬県出身。桐生高では1年夏の甲子園に出場。54年に東映(現日本ハム)に入団。57年6月23日の近鉄戦でサイクル安打を達成。同年はリーグ3位の打率・307をマークして初のベストナインに選ばれた。2000安打まで23本足りない1977安打で71年限りで引退。引退後は東映、日拓、西武でコーチなどを務め、西武スカウトとしても辣腕を発揮した。

 ≪真面目で人間性豊か≫▼張本勲氏(本紙評論家。東映でチームメート)私が59年に東映に入団した時、毒島さんは既にキャプテン。真面目で人間性豊かで、本当にキャプテンらしい人だった。プレーは非常に足が速い左打者。右翼の守備もうまかった。駒沢にあった寮で2年ぐらい一緒に暮らしたが、落語が好きでよく寄席に行っていた。寮の食事の時にそんな話をしたのを覚えている。奥さんは東映の女優さんだった。

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