東北の野球レベル向上は交通網の発達や楽天の創設がプラスに

[ 2022年8月26日 04:00 ]

08年、野球教室で少年たちにピッチングを披露する楽天・田中
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 東北高校球界が発展した要因の一つには取り巻く環境の「変化」が挙げられる。各校が遠征用の専用バスを用意するようになり、道路環境の整備などとともに関東などへの遠征も行きやすくなり、強豪校との練習試合を通してレベルを上げた。

 秋田経大付(現ノースアジア大明桜)監督として82年夏の甲子園に出場し、現在は秋田県野球協会名誉会長の伊藤護朗氏(75)は「(遠征に使う)バスも知り合いを通じて、借りたりしていました」と振り返る。高校球界では80年代までは専用のバスを持つ学校も少なく、伊藤氏も関東などへの遠征は、春休みなど長期休暇を利用するなどして、年に数回ほどだった。

 73年に東北自動車道の福島・白河IC―郡山ICが開通したのを皮切りに、東北各県の高速道路の整備も進んだ。72年から日大山形、青森山田監督を務め、春夏22度の甲子園出場を誇る渋谷良弥氏(75=現青森山田野球部アドバイザー)も、遠征に苦労した時代の一人だ。日大山形時代は専用バスが導入される88年ごろまでは午後10時に山形駅を出る夜行列車で約8時間ほど揺られながら東京の遠征に出掛けた。だが02年からの青森山田監督時代は専用バスもあった。甲子園で東北勢が活躍し始めたこともあり、神奈川県の横浜、東海大相模といった強豪校と練習試合を実施。「関東の強豪チームと対戦できたのは(強化の)大きな要因だった」と証言する。

 82年には東北新幹線の大宮―盛岡間が開通した。その80~89年の10年間は春夏で8強以上に進出した学校は延べ11校と躍進。東北以外の選手のスカウティングや遠征面で移動時間が短くなったこともプラスに働いた。

 そして04年オフにはプロ球団の楽天が創設され、野球教室や小学生向けのスクールを開講。仙台育英の須江航監督も「(野球界の)裾野を広げてくれた。子供たちの夢や希望になる」と感謝し、東北全土に感動を届けた13年の日本一についても「スポーツの醍醐(だいご)味を感じさせる優勝。(東北で)喜んでいない人はいなかった」と振り返る。交通網の発達や環境の劇的な変化が、東北の野球レベル向上につながった。(高校野球取材班)

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2022年8月26日のニュース