水谷 日本卓球界の悲願に雄叫び! 家族の英才教育実る

[ 2016年8月13日 05:30 ]

日本人初となる銅メダルを決め、雄叫びを上げて喜ぶ水谷(AP)

リオデジャネイロ五輪卓球・男子シングルス3位決定戦 水谷隼4―1ウラジーミル・サムソノフ

(8月11日 リオ中央体育館)
 男子シングルスの3位決定戦が行われ、第4シードの水谷隼(27=ビーコン・ラボ)が第7シードのウラジミール・サムソノフ(40=ベラルーシ)に4―1で勝ち、銅メダルを獲得。シングルスでは日本卓球界初の表彰台に立った。日本が誇る万能型エースが、3度目の五輪でついに悲願のメダルを手にした。かつて世界選手権で団体5連覇を達成しながら、その後は低迷していた日本の卓球界に新たな希望の灯をともした。

 気持ちがいいほどの喜びっぷりだ。サムソノフのレシーブがネットにかかると、水谷はイナバウアーのような形を通り越し、そのまま背中から地面に崩れた。寝転んだまま天井に向かって雄叫び。日本卓球史上初めて、シングルスのメダルをつかんだ。

 「今日負けたら一生後悔すると思うし、死にたくなると思うので、絶対に負けたくないという気持ちで頑張った」。

 前回ロンドン五輪は深刻な睡眠不足に陥った。第3シードの肩書に重圧を覚えた。「負けるのが怖かった」。4回戦敗退。自暴自棄になり、数カ月間練習をしなかった。「どん底」からはい上がれたのは、13年に結婚した妻の存在があったから。「勝って喜んでくれる人の笑顔が見たかった」。銅メダルの瞬間、最愛の人は観客席にいた。試合前にはLINE(ライン)で励まされた。1人で駄目なら2人で――。3度目の出場での悲願は、夫婦でつかんだ勲章だった。

 天才サウスポーの誕生は、母・万記子さん(54)の考えが生きた。息子が1歳の時にスプーンを右手に持ったのを目にして「このままでは右利きになる」と強制的に左利きに変えさせた。「スポーツをするなら左利きが有利」が持論だった。福原愛を見本として自宅に卓球台を置き、卓球一家の道を進んだ。

 日本卓球協会の育成プロジェクトの成果でもあった。01年に小学生のナショナルチームを結成。技術、メンタル、フィジカル、栄養の4本柱で家族を含めて指導した。

 「小学校から正しく指導しなければ世界で勝てない」と日本卓球協会の前原正浩副会長は狙いを説明する。その1期生が水谷。協会の強化費で中学2年から強豪ドイツに留学するなど、英才教育を施された。本人の努力、家族の熱血指導、協会の強化策が、8度の全日本選手権優勝を誇る国内最高傑作をつくり出した。

 「卓球界にとっても大きなメダル。これをきっかけにメジャースポーツになってほしい」。

 快挙に喜ぶ暇はない。日本卓球が世界を席巻した50年代を取り戻すためには、倒すべきライバルがいる。メダルはゴールではなく、打倒中国への出発点になる。

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