国立“最後”の早明戦 ワセダ勝ち越してノーサイド

[ 2013年12月2日 05:30 ]

<早大・明大>後半42分、トライを決めた佐藤穣(右から3人目)に駆け寄る垣永主将(右から4人目)ら早大フィフティーン

関東大学ラグビー 対抗戦 早大15―3明大

(12月1日 国立)
 来年7月から改修工事に入る現国立競技場での最後の早明戦が行われ、早大が15―3で明大に逆転勝利を収め、6勝1敗の2位で対抗戦を終えた。73年に秩父宮から国立競技場に場所を移した早明戦は、通算24勝24敗2分け(大学選手権を含む)でこの日を迎えたが、早大が25勝24敗2分けで勝ち越し。春から両校が集客プロジェクトを繰り広げ、4万6961人の大観衆で埋まったスポーツの聖地に、歴史に残るノーサイドの笛が響いた。

 夕暮れの国立に、松任谷由実の「ノーサイド」の歌声が響く。ピッチで聴き入っていたプロップの垣永主将(4年)は落涙した。この勝利に懸けてきた厳しい練習、貴重なオフの時間を割いた集客活動。全てが走馬灯のように頭を駆け巡った。

 「最高の環境の中で早明戦を迎えられた。今年一年、4年生を中心に集客活動を頑張って。でも頑張ったがみんなが試合に出られなくて…。そんなことを思い出したら、自然と感極まりました」

 前半は五分の戦い。明大の速いプレッシャーに思うようなアタックができず、スクラムでも苦戦を強いられた。しかし後半開始直後に連続攻撃から勝ち越しトライを奪うと、同42分には敵陣5メートルスクラムからNo・8佐藤(2年)が持ち込み勝利を決定付けるトライ。後藤禎和監督が「今年はFWを前面に押し出すスタイル。スクラムの優劣が勝敗を分けた」と語ったように、夏以降はスクラムマシンを一切使わず、“生身”のスクラム練習で徹底強化。垣永主将も「フロントの3人だけではなく、8人で組むという意識を持てた」と話した。

 熱戦を彩った満場のファンも、部員の努力のたまものだった。この日の早明戦を盛り上げるため、両校は今春に「国立をホームにしよう」プロジェクトを立ち上げた。試合では後半に2度、自陣ゴール前でのターンオーバーでチームを救ったフランカー布巻(3年)も「最初はこんなの(満員にすること)は無理だと思った」と振り返ったが、地道な活動を続けた。練習後は電話で他の体育会部員や友人に売り込み。オフの時間も削って宣伝活動に奔走した姿に、後藤監督も「選手は人間的にも成長した。すぐ社会人になっても通用する」と認めた。

 41年間の歴史に終止符を打った国立での早明戦。垣永主将は言った。「先輩たちが受け継いできたものを、自分たちの世代で終わらせてはいけない」。6年後の19年、新国立に早明戦が帰ってくるまで、この日の熱をたぎらせ続ける。

 ◆早明戦アラカルト
 ☆初国立 73年対抗戦で前年までの秩父宮から場所を移し開催。早大が13―9で勝利して歴史の幕を開けた。
 ☆引き分け 2試合しかない。早大がいずれも試合終了間際に追いついた。75年は藤原優、90年は今泉清が劇的トライを決めた。
 ☆番狂わせ 早大は名将大西鉄之祐監督が最後に率いた81年の対抗戦で圧倒的不利を覆し21―16で逆転勝ち。観客6万6999人は、全ての競技を通じて国立競技場史上最多(当時)の観客動員となった。
 ☆雪の早明戦 87年は雪が積もる中、試合残り10分で激しい攻防を演じた末に早大が10―7で逃げ切った。
 ☆弔いの黒襟 96年に明大の北島忠治監督が逝去し、選手は黒襟のジャージーを着て19―15で勝った。
 ☆完封勝利 02年は早大が24―0で76年ぶりに完封。大学選手権でも74年度決勝で18―0で完封している。
 ☆ロスタイム勝利 12年の100回目の対戦は、明大が後半41分に“サヨナラトライ”を挙げ14季ぶりの対抗戦V。

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2013年12月2日のニュース