蒼国来「重み感じた」白まわし 2年ぶり朝稽古3時間 

[ 2013年4月5日 06:00 ]

ぶつかり稽古を行う蒼国来(左)

 大相撲の八百長裁判で解雇無効判決が出て、名古屋場所(7月7日初日、愛知県体育館)から復帰する幕内・蒼国来(29=荒汐部屋)が4日、東京都中央区の荒汐部屋で稽古を再開した。十両以上が締める白いまわし姿で四股やすり足など約3時間汗を流し、土俵復帰へ向けて本格的なスタートを切った。

 午前6時30分すぎ、入門から9年間の思い出が詰まった「我が家」に戻った蒼国来は満足そうに頬を緩めた。十両以上に許される白の稽古まわしを締め、稽古場の壁に掲げられた自身の木札を「師範代」から「幕内」に換えた。新たな土俵人生の第一歩。約3時間の稽古では四股やすり足、股割りなど基本の稽古を繰り返した。解雇時と比べ、胸板は薄くなり腹回りにもぜい肉が付いた。幕下・福轟力(ふくごうりき)に胸を出したぶつかり稽古でも積極的に汗を流したが息は上がり、体全体は真っ赤。それでも「早くまわしを着けたかった。緊張したけど、うれしかった。まわしの重みを感じた」と喜びをかみしめた。

 蒼国来は11年初場所後に発覚した八百長問題で、特別調査委員会の調査で関与したと認定され、同年4月に引退勧告を受けた。しかし、勧告を拒否したため解雇処分となり、本場所は2年以上も遠ざかっている。解雇後も11年7月には愛知県一宮市の荒汐部屋宿舎で若手力士に胸を出したが、その後はジムなどでの自主トレに加え、日野自動車ラグビー部などで体力づくりに励んできた。体重は解雇時の135キロ前後を維持しているというが、師匠の荒汐親方(元小結・大豊)は「まずはぜい肉を落として筋肉を付けて持久力を付けないとダメ。稽古しかない」と厳しい見解を示した。

 来週からは幕下以下の若い衆と申し合いを開始し、同じ一門の時津風部屋などへ出稽古する可能性もある。戦時中を除けば2年以上のブランクを克服した力士は皆無だが、署名活動などで支援してくれた関係者や師匠らに恩返しするためにも「稽古の鬼」になるしかない。

 【長期離脱した主な力士】

 ☆九州山 34年1月に、大正生まれでは初の入幕。38年1月には小結に昇進し、新横綱の双葉山と好勝負を演じたが、この年に応召された。40年9月に帰還し、42年5月に横綱・羽黒山をけたぐりで倒した。

 ☆信濃川 45年11月に十両昇進が決まりながら番付に載らないまま応召。終戦後もシベリアに抑留された。帰国後の50年5月に6年ぶりに土俵に復帰したものの、3場所で引退。しかし、抑留期間も「所要場所」に換算され、年寄「間垣」を襲名した。

 ☆吉葉山 42年5月に幕下筆頭で7勝1敗で優勝し、十両昇進が約束されていた。しかし召集されて4年以上も中国各地を転戦。46年6月に復員し、47年6月には復員後初の場所で優勝同点までいった。

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