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【コラム】金子達仁

評価したい日本選手の必死さ

[ 2023年11月17日 06:00 ]

 サッカーにおける“勝利”を“試合前に立てた目標を達成すること”と仮定するならば、ミャンマーもまた、この試合の勝者だった。

 国歌吹奏の際、ミャンマーの先発メンバーは全員が「ガバ・マ・チェ」を口ずさんでいた。前回対戦した際は、誰一人として歌っていなかった国歌を、今回は全員が歌っていた。日本と戦う前に自国の政情不安と戦っていたのが前回のミャンマーだとしたら、今回の彼らは目の前の巨大な敵に完全にフォーカスできていた。

 さらに、前回の対戦で2桁失点を喫していたことも、ミャンマーにとってはモチベーションの一つとなっていた。つまり、「二度と同じことは繰り返さない」。勝利を目標にした集団であれば、1点、2点と失点がかさんでいくうち、目的を失い崩壊していくが、3点を取られても、4点目を喫しても、ミャンマーの集中力は切れなかった。

 0―5で迎えたアディショナルタイムに、彼らは時間稼ぎとしか思えないプレーをしたが、それもこれも、すべては前回よりも失点を減らすという確固たる共通認識があったからだろう。
 
 本来、サッカーとは双方がゴールを狙いあうことによって成立している競技である。敵のゴールを脅かす意欲が皆無の相手と戦うのは簡単なことではないし、気持ちの面からも、日本の選手には難しいところがあったはず。それだけに、きっちりと5発、相手ゴールをこじあけた日本の戦いぶりは評価できる。

 何が起こるかわからないのがサッカーとはいえ、日本がミャンマーに負ける可能性がほぼないことは、衆目の一致するところだった。それゆえ、試合前には欧州からもメンバーを呼び寄せた森保監督の判断を批判する声もあった。こういう時こそ、普段はチャンスのない国内組に出場機会を与えるべきだという意見は、なるほど、わからなくもない。

 ただ、そうした意見に一番反発するのは、ひょっとすると海外組の選手たちかもしれない。

 少し前までであれば、海外でプレーすることは日本代表のレギュラーポジションを確約されることに等しかった。いまは違う。海外でプレーする選手は代表1チーム分をはるかに超え、一度でも機会を逃そうものなら、地位を奪い取ろうと目論(もくろ)むライバルがひしめいている。わたしだったら、相手がどれほど格下だろうが、代表における自分の地位を確固たるものにしておきたい。

 たとえば菅原。彼がどんな心境でこの試合を眺めていたかは非常に興味がある。

 代表キャップを獲得するたびに評価を高めてきた菅原だが、彼が欠場時に出場した毎熊も一気に株を上げた。そんな状況で、所属クラブでのプレーに専念したいし、移動もキツイので今回は辞退しよう……などと考えたりするものだろうか。

 たぶん、考えない。

 試合を通じてわたしが一番評価したいのは、ほぼすべての日本選手から必死さが伝わっていたこと。ミャンマーの選手たちが2桁失点を防ぐために戦っていたのだとしたら、日本の選手は自分を脅かすライバルと戦っていた。彼らが、結果を出すことでしか生き残れないサバイバルの只中(ただなか)にあることを痛感させてくれる必死さだった。

 過去、幾度となくてこずってきた2次予選の初戦を、日本は悪くない形で乗り切った。続くシリア戦。楽観できる相手でないのはもちろんだが、それ以上に心配なのは、この試合が放送されないかもしれない、という点である。(金子達仁氏=スポーツライター)

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