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【コラム】金子達仁

W杯優勝…その前にきっと立ちはだかる“あと1里の壁” 今の日本サッカーに満足するのは早い

[ 2023年9月28日 06:30 ]

 サッカーにおける世界最高峰の戦いといえば、言わずと知れたW杯。長く4年に1度の大会を心待ちにする人生を送ってきたし、すべての事象を4年単位で測る習慣も染みついている。湾岸戦争。ああ、W杯イタリア大会の年だった……といった具合である。

 だが、人生で一度だけ、W杯よりも楽しみだった大会があった。80年12月30日からウルグアイで開催されたコパ・デ・オロ(黄金杯)、もしくはムンディアリート(ミニW杯)と呼ばれた大会である。

 いまから思えば、よくぞこんな時期に、こんな大会が開催できたものだと思う。第1回W杯から50年が経(た)ったことを記念して、歴代王者をウルグアイに集めて争わせよう、という大会だった。

 参加したのは、西ドイツ、イタリア、オランダ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの6カ国。どの国も最強メンバーで臨むことが発表されており、夢のような大会になることが予想された。

 ちなみに、出場した6カ国の中には、1カ国だけ例外があった。オランダである。本来であれば、イングランドが出場すべきところ、自国が主導しない国際大会に極端に冷淡だったサッカーの母国は、あっさりと出場を辞退したのである。

 ただ、74年、78年と連続してW杯出場を逃し、サッカー界のガラパゴスとなりつつあったイングランドの欠場は、わたしにとってむしろ朗報だった。オランダの方が、はるかに魅力的だったからだ。

 大会終了から数カ月後、「ダイヤモンドサッカー」で中継されたこの大会は、期待に違(たが)わぬ素晴らしい熱戦の連続だった。ケンペスとマラドーナがコンビを組み、ソクラテス率いるブラジルと激突する。ルムメニゲ対パサレラ。アントニオーニ対双子のケルクホフ兄弟。最後はヴィクトリーノの決勝弾で地元ウルグアイが歓喜の優勝と、最初から最後まで盛り上がりっぱなしの大会だった。

 あのとき、わたしは何の疑念も抱いてはいなかった。W杯優勝を果たしていないオランダが、大会に参加していることに。そして、近い将来、彼らが7カ国目のW杯優勝国となることに。

 40年以上の月日が流れた現在も、オランダはW杯優勝経験国の栄誉を手にできていない。当時は泡沫(ほうまつ)に近い扱いだったフランスやスペインが黄金のカップを抱いた一方で、オランダは進出した3度の決勝戦すべてで苦杯を喫している。

 では、オランダには何か劣等感があるのだろうか。我々には見えないガラスの天井のようなものがあって、それが大事な局面で彼らの悲願成就を阻み続けているのだろうか。

 たぶん、違う。

 9月の欧州遠征に連勝したことで、日本のファンの鼻息がずいぶんと荒くなってきた。自信を持つのは悪いことではないし、これこそ、日本サッカー界が求め続けた境地でもある。実際、とんでもない勢いで日本は伸びている、とも思う。

 ただ、勝つために自信は必須だとはいえ、自信があれば必ず勝てるわけでもない。確かに日本はW杯の主役級に一歩近づいたかもしれないが、それは、将来の戴冠を約束するものではない。

 百里の道は、九十九里をもって半ばとす――いまだあと1里を歩き切れないオランダを見るたび、自分にそう言い聞かせている。

 三笘も、久保も、本当に素晴らしい。だが、クライフがいても、フリットがいても、ロッベンがいても勝てないのがW杯。満足するのは、まだまだ早い。(金子達仁氏=スポーツライター)

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