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【コラム】金子達仁

選手たちよ「憂いるな」挑戦者として戦うのみ

[ 2022年11月29日 17:00 ]

FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会

<日本・コスタリカ>喜ぶコスタリカイレブンを背に円陣で指示を出した森保監督(撮影・西海健太郎)
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 【W杯戦記】一喜一憂という言葉の意味を知らない日本人は、いない。だからこそ、ドイツ戦が終わった直後、森保監督は選手たちにこの言葉を伝えたのだろう。監督の思いは、選手たちにもしっかりと伝わっていた。

 だが、驚いたことにわたしの場合、わかっていたはずの「一喜一憂」という言葉の意味を、半分しか理解していなかった。いちいち喜ぶな。これはわかる。染みる。だが、この熟語にはもう一つ、「憂いるな」という意味もあることを、すっかり失念してしまっていた。

 ドイツ戦のあと、「まだ喜ぶな」と必死になって自分を戒めたわたしは、コスタリカ戦を終えて、この世の終わりのような気分になってしまった。一喜一憂という言葉の半分しか、利用できていなかったことになる。

 選手たちがそうではないことを、祈るしかない。

 ドイツに勝ったことで爆発的に増殖した楽観論は、一夜にして悲観論に転じた。最終戦で当たるスペインは強い。ドイツはコスタリカに大勝する。だから、きっと無理だという声が聞こえる。

 確かにスペインは強い。だが、その強いスペインは、ドイツにあわや逆転負けを食らうところだった。彼らは無敵ではない。ここ2試合出来がよくなかった鎌田や、コスタリカ戦では出番さえなかった久保は、きっといまごろ、復(ふく)讐(しゅう)に燃えていることだろう。堂安や浅野の原動力になったものは何だったかに思いを馳(は)せれば、むしろ期待は高まる。

 考えてみれば、コスタリカ戦は日本にとって史上初めて、挑戦者ではない立場で迎えたW杯だった。自分たちを警戒し、リスペクトしてくる相手の扱い方に戸惑ったのも無理はない。

 その点、今度のスペイン戦は慣れ親しんだ挑戦者としての戦いである。やるべきこと、目指すものも一本化しやすい。ドイツ戦で獲得した自信を喪失していなければ、十分面白い展開になるとわたしは思う。

 問題は、スペイン戦で何を目指すか、である。

 負ければ可能性はゼロ。引き分けだと微妙。勝てば文句なし。ならば勝ちに行くべきだと割り切るか、はたまた、他会場の展開をにらみながら状況に応じて戦い方を変えるのか。戦術や起用法以前に、森保監督の大局観が問われる試合となる。

 ドイツ対コスタリカにしても、悲観的なファンが思っているほど簡単な試合にはならない可能性がある。

 アジア最終予選を思い出していただきたい。最初から引き分け狙いで臨んでくる相手を崩すのは、どんなに力の差があっても簡単なことではない。

 しかも、日本と戦ったアジアの国々の多くは、引き分けを狙いつつ、あわよくばとの欲も捨てきってはいなかったが、勝ち点でドイツを上回るコスタリカは、完全に欲を捨ててくる。自分たちが点を取ることを一切考えず、ひたすらにガードを固めてくる。勝つしかないドイツを待ち構えているのは、最強の亀、スペインや日本と戦ったときよりはるかに手(て)強(ごわ)いコスタリカである。

 コスタリカが首尾を貫徹してくれれば、日本は引き分けでも次のラウンドに進むことができる。そして、その可能性は決して小さなものではない、とわたしは思う。これは、強がりでもあり本音でもある。

 周りが見えなくなるほど喜んではいけないし、自信を破壊するほど憂いてもいけない。いまは、改めて一喜一憂という言葉に込められた戒めを、2つとも噛(か)みしめる時だと自分に言い聞かせている。(金子達仁氏=スポーツライター)

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