×

【コラム】金子達仁

意外だった堂安の背番「10」に対する気概

[ 2023年6月15日 13:30 ]

<サッカー日本代表練習>笑顔の堂安(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

 小学生だった頃、草野球における一番人気な“立ち位置”は「3番サード」だった。神戸でさえそうだったのだから、他の地域ではこの“立ち位置”を巡って、腕自慢の野球小僧がしのぎを削ったに違いない。ユニホームを作るようなチームであれば、背番号3の争奪戦が繰り広げられたことだろう。(金子達仁=スポーツライター)

 サッカーにのめり込んだ中学時代、人気の背番号は何といっても「14」だった。ペレは過去の人、マラドーナはまだ知られておらず、「キャプテン翼」が世に出る前の時代。ヨハン・クライフの影響は絶大だった。

 スペインに留学した30年ほど前は、「23」という背番号が目立っていた。「リトル・ブッダ」の愛称で親しまれたバルサの俊英、イバン・デラペーニャがつけていたのもこの背番号。バルセロナ五輪で世界中にその名を轟(とどろ)かせたバスケットのドリーム・チーム、マイケル・ジョーダンに憧れてのものだったという。

 いま、日本で野球をやっている少年たちにとって、背番号3がそれほど特別な数字とは思えないし、サッカー少年にとっての「14」も似たような立場となりつつある。オランダでプレーしていた頃の本田圭佑に「背番号14ですか?ぼくはあんまり思い入れないですね」と言われ、時代の流れを痛感したのはもう15年ほど前の話になる。

 前日付のスポニチに「堂安色の10番をつくりたい」という記事が掲載されていた。3月の活動では空き番になっていた日本代表の背番号10を、彼がつけることになったのだという。この決定、本人には欧州のシーズン中に伝えられており、堂安は「気合が入った」ということらしい。

 ちょっと意外な気がした。

 背番号14ほどではないものの、世界のサッカー界における背番号10も、以前に比べればだいぶ軽くなってきたな、というのが個人的な印象だった。チームの命運を託すというより、単なる歯車の一つとみなすやり方も増えた。

 フランス代表では背番号10をつけるエムバペも、パリSGでは一度もこの背番号をつけていない。ベオグラードにある自宅の番地を強引に「10」に変えさせるなど、この番号に強烈なこだわりを持っていたストイコビッチや、10番以外をつけた経験が皆無に等しいマラドーナなどと比べると、明らかにこだわりは薄い。

 同じように、ガンバ時代も含め、所属チームでは一度も背番号10をつけたことがない堂安にとっても、背番号は単なる記号なのかなと勝手に思い込んでいた。そこでの「気合が入った」宣言。ほう、まだこの世代にも背番号10に対する憧れが残っていたか、と意外な気持ちになったのである。

 サッカー界の“都市伝説”に、「日本代表の背番号10はアディダス契約選手」というものがある。確かに、過去7度出場したW杯で、実に6人の背番号10がアディダス契約選手だった。

 ただ、わたしがこの“都市伝説”を懐疑的に見てしまうのは、02年のW杯日韓大会、背番号10を背負ったのがおよそタイプではない、プーマ契約選手の中山雅史だったからでもある。当時、アディダスは中村俊輔と契約しており、社長はフランス人、日本代表の監督もフランス人だった。

 今回、プーマ契約選手の堂安が背番号10をつけたことで、都市伝説はいよいよ怪しくなってきた。いずれにせよ、特別な背番号を背負ったという自覚があるらしい堂安には、エルサルバドル、ペルーを粉砕するような働きを期待したい。(金子達仁=スポーツライター)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る