近藤真彦の歩み 歌手として一世風靡、レーサーや金屏風会見で話題集め…昨年はデビュー40周年

[ 2021年4月30日 17:10 ]

ジャニーズ事務所
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 ジャニーズ事務所は30日、近藤真彦(56)が同日をもって退所すると発表した。マッチの愛称で親しまれる事務所の最年長所属タレントはジャニーズの“長男”として活躍。昨年、歌手デビュー40周年を迎えたばかりで、レース活動のほか歌手、中森明菜(55)との「金屏風会見」でも話題を集めた。

 1964年7月19日生まれ、神奈川県出身。77年、中学1年の時に事務所入りした。79年にTBS「3年B組金八先生」でデビューし、共演した田原俊彦(60)、野村義男(56)と「たのきんトリオ」として活動。80年に「スニーカーぶる~す」で歌手デビューすると、同曲はジャニーズ史上初のミリオン(100万枚突破)を記録した。

 翌81年の「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。同年のNHK紅白歌合戦に初出場し、88年まで8年連続紅白に出場した。87年の「愚か者」で日本レコード大賞を受賞するなど、80年代をトップアイドルとして駆け抜けた。87年には、近藤の母親の墓が荒らされ、遺骨が盗まれるという事件も発生した。

 過去のスキャンダルは、89年大みそかに歌手、中森と開いた「金屏風(びょうぶ)会見」が有名だ。同年7月、当時交際していた中森が近藤の自宅で自殺未遂。約半年間、表舞台から姿を消していたが、突然大みそかの午後10時すぎにそろって会見し、一連の騒動を釈明した。緊急復帰会見という名目、バックが金屏風だったため、報道陣は「婚約会見か」と大慌てとなった。

 84年にレーサーデビュー。F3や全日本GT、ルマン24時間耐久レースにも参戦した。94年の全日本GT選手権で初優勝を「ポール・トゥ・ウィン」で飾るなど活躍。2000年に自らのレーシングチーム「KONDO RACING」を結成した。チームオーナー・監督・ドライバーの3役をこなし、その後監督業に専念。フルマラソンやトライアスロンにもチャレンジし、話題を呼んだ。

 俳優としてテレビ朝日「三匹が斬る!」シリーズ、フジテレビ「岡部警部シリーズ」などにも出演。日産自動車「マーチ」のCMや、ラジオ番組のパーソナリティーなど幅広い活動で存在感を示した。これまでにシングル53枚を発売、紅白歌合戦には10回出場。94年に一般女性と結婚し、07年に第1子となる長男が誕生した。

 2019年に東京ドームで執り行われたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)のお別れの会「関係者の部」で、事務所を代表して弔辞を読んだ近藤は昨年、歌手デビュー40周年の記念イヤー。12月12日の記念日に向けて多くの仕事が予定されていたが、11月に一部週刊誌で25歳年下の女性との不倫が報じられた。事実と認め、同月17日、無期限の芸能活動自粛処分が下されていた。

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