八千草薫さん逝く 88歳、すい臓がん…2月に闘病公表、仕事復帰目指し

[ 2019年10月29日 05:30 ]

82年、スポニチ本紙インタビューの際の八千草薫さん
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 いつまでも若々しく上品な美しさで親しまれ、ドラマ「岸辺のアルバム」をはじめ映画、舞台と幅広く活躍した女優の八千草薫(やちぐさ・かおる、本名谷口瞳=たにぐち・ひとみ)さんが24日午前7時45分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。88歳。大阪府出身。葬儀・告別式は近親者で営んだ。夫で映画監督の谷口千吉氏と2007年に死別後も多くの作品に出演。年を重ねながら芸域を広げた名女優だった。

 名女優が静かに逝った。17年春に乳がんが見つかり、病を伏せたまま仕事を続けたが、すい臓から肝臓に転移した今年2月に闘病中であることを公表。復帰を目指したが、その日は訪れなかった。

 東京都世田谷区の自宅前で、この日午後5時すぎに所属事務所の原田純一社長が取材陣に対応。最後に入院したのは今月2日。ずっと前向きで、仕事復帰を信じ、台本を手にしては「これ面白い。これはつまらない」と話していたという。亡くなった24日の朝も午前6時に起こしにきた看護師に「(体調は)変わらないわ」といつも通りの受け答えをしていたが、その30分後に容体が急変。社長が駆け付け、「ぎりぎりみとれたかな?」というタイミングで旅立った。「奇麗な顔で、葬儀屋さんも“さすが女優さん”と言っていた」と明かした。

 故人の遺志で28日に都内斎場で密葬が営まれ、親族と事務所関係者20人ほどが参列。この日、荼毘(だび)にふされた。お別れの会も「恥ずかしいからやめて」と話していたそうだが、原田社長は「(お世話になった)皆さんからやらなきゃ駄目と言われている」と話した。

 八千草さんは、倉本聰氏(84)の脚本で、4月に始まったテレビ朝日のドラマ「やすらぎの刻~道」に出演を予定していたが、治療に専念するため断念。5月26日、千葉・森の墓苑で、理事を務める日本生態系協会主催の「昆虫の家」除幕式に出席したのが最後の公の場となった。

 体力づくりのため、愛犬ヴェルディを連れて散歩する姿もよく見られていた。近所の人は「うちの子(犬)が八千草さんの姿を見ると駆け寄っていった。服なんか汚しちゃったけど、おやつをもらったりして可愛がってもらいました」と寂しそうに証言。捨て猫を引き取り、「フーちゃん」と名付けて可愛がってもいたという。15年間務めた家政婦さんは「23日はまつたけご飯をおいしそうに食べてくれた」「具合が悪くても洗濯は自分でしていた」などと話し、6月に、倉本氏が暮らす北海道・富良野に遊びに行ったことも明かした。そして「(東京)オリンピックまでは頑張るわと話していたのに…」と悔しそうな顔を見せた。

 57年に周囲の猛反対を押し切って20歳近くも年上の映画監督、谷口千吉氏と結婚して話題を呼んだ。子供には恵まれなかった。29日が先に逝った夫の十三回忌。最後までそれを気に掛けていたというが、今頃は天国で再会しているだろう。

 ◆八千草 薫(やちぐさ・かおる)本名谷口瞳。1931年(昭6)1月6日生まれ、大阪府出身。47年に宝塚歌劇団に入団。51年に「日下恋愛中」で映画デビューした。宝塚を57年に退団。75年にテレビドラマ「俺たちの旅」で日本のお母さん役が定着した。79年のドラマ「阿修羅のごとく」で4姉妹の次女役を、2003年の映画版では母親役を演じた。同年に毎日映画コンクールで田中絹代賞を、09年には「ディア・ドクター」で女優助演賞を獲得。97年に紫綬褒章、03年に旭日小綬章を受章した。

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