左とん平さん死去、所属事務所が公表 後日お別れの会

[ 2018年2月25日 15:09 ]

死去した左とん平さん
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 1970年代の大ヒットドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」で人気を博し、名バイプレーヤーとして知られた俳優の左とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)さんが24日午後3時57分、心不全のため都内の病院で死去した。80歳。所属事務所が25日、報道各社にFAXで公表した。

 昨年6月、急性心筋梗塞で入院。一時は回復に向かったが、残念ながら復帰は叶わなかった。葬儀は家族の意向により近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を行う予定と発表した。

 1957年に同級生と劇団を結成。芸名の「左」は本名の「肥田木(ひだき)」からとったもの。20代の頃は10年ほど新宿コマ劇場で修業。先輩役者の芝居を見て学び、喜劇役者としてのキャリアを積んでザ・ドリフターズのコメディー映画にも出演した。70年代にはTBSの「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などさまざまなドラマでお茶の間の人気者に。86年にスタートした日本テレビ「女監察医 室生亜季子」では刑事役を熱演し、20年以上続く人気シリーズとなった。映画でも、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「楢山節考」(83年)や「吉原炎上」(87年)などに出演した。

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2018年2月25日のニュース