ムッシュかまやつさん死去 昨年肝臓がん公表、78歳

[ 2017年3月2日 05:30 ]

ムッシュかまやつさん
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 グループサウンズ「ザ・スパイダース」のメンバーとして人気を集め、音楽界のレジェンドとして活躍した歌手のムッシュかまやつ(本名釜萢弘=かまやつ・ひろし)さんが1日午後6時5分、都内の病院で死去した。78歳。東京都出身。昨年5月に肝臓がんが見つかり、9月に公表。12月に、ザ・スパイダースでともに活躍した堺正章(70)の70歳を記念したライブに飛び入りで参加し、デュエットを披露するなど元気な姿を見せていた。

 仕事復帰に強い意欲を見せていたかまやつさんが力尽きた。

 肝臓がんは昨年5月に検査を受けた際に見つかり、手術は行わず通院して抗がん剤による治療を受けていた。闘病中も仕事をこなしていたが、7月に予定していたライブを健康上の理由で延期。8月23日に脱水症状を起こし救急搬送され、そのまま入院した。9月に入院と病名を公表した際には「絶対復活するから心配しないでください!!」と再起を誓っていた。

 10月末に退院。以降はいとこで歌手の森山良子(69)宅に身を寄せるなどして、通院しながら治療を続けていた。

 最後の公の場になったのは12月8日。ザ・スパイダースで一緒に活躍した堺の70歳を記念したライブに姿を見せた。当初はステージを会場最後方で見守っていたが、堺の呼びかけに応じて登壇。堺に「しゃべりが長いね」と突っ込むなどして会場を沸かせ、ザ・スパイダースの名曲「サマー・ガール」をデュエットで披露した。以前より痩せた印象だったが、元気な様子を見せていた。

 かまやつさんは、日系米国人でジャズシンガーのティーブ釜萢さんの長男として生まれ、幼いころから米国音楽に親しんだ。中学生のころには六本木のカフェやクラブでジャズを聴き、当時の一流文化人や芸能人らが集まったイタリアンレストラン「キャンティ」で、三島由紀夫や石原裕次郎らから刺激を受けた。

 青山学院高等部時代に学生バンドを結成し、57年に国際劇場でプロデビュー。60年代にはザ・スパイダースのメンバーとして活躍。かまやつさんが作曲した「フリフリ」「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」などが大ヒットし、グループサウンズブームをけん引した。当時から遅刻魔として有名でデビューシングル「フリフリ」のジャケット写真にもメンバーで唯一写っておらず、音楽界の語り草になっている。

 70年の解散後もソロシンガーとして活躍。「荒井由実」時代の松任谷由実(63)が多摩美大在学中の72年には、アルファレコードの設立者・村井邦彦氏の勧めもあり、デビュー曲「返事はいらない」のプロデュースを担当。後進の育成にも熱心で、後のJポップ文化にも多大な影響を与えた。

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