ドジャース・大谷 初の二塁打3本!同行していない夫人には「寂しいと言わせたい」とラブコール

[ 2024年4月26日 01:30 ]

ナ・リーグ   ドジャース11―2ナショナルズ ( 2024年4月24日    ワシントン )

<ナショナルズ・ドジャース>8回、適時二塁打を放ち、ポーズを決める大谷(撮影・光山 貴大)
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 ドジャースの大谷翔平投手(29)は24日(日本時間25日)、ナショナルズ戦で自身初となる1試合3本の二塁打を放った。うち2本が適時打で11―2の大勝に貢献し、チームは3連勝を飾った。断トツの二塁打数とともに、安打、打率、長打、塁打、長打率、OPSとメジャー7冠を堅持。シーズン換算では二塁打87本ペースとなり、メジャー記録の67本(1931年アール・ウェブ=レッドソックス)を大きく更新する勢いだ。

 いよいよ全開だ。大谷がその翼を広げ、首都ワシントンの夜空を何度も飛び交った。まずは初回1死、アービンの高め96・7マイル(約156キロ)に振り負けず、右中間を真っ二つに割った。後続のスミスの適時打で先制のホームを踏んだが、始まりに過ぎなかった。

 7―2の8回1死三塁は、救援右腕の外角93・9マイル(約151キロ)直球を捉え、またも右中間を割る適時二塁打。9回2死一、三塁では5番手右腕の外角高めの直球を高々と逆方向へ運んだ。左中間フェンス直撃の2打席連続の適時二塁打だ。いずれも滑る必要なく悠々二塁に達するスタンディングダブル。両リーグトップの二塁打は14に伸ばし、今月12本は22年9月の自己最多9本を一気に更新し、日本選手歴代最多の12年ブルワーズ・青木宣親(現ヤクルト)の13本に王手をかけた。

 前日は自己最速となる打球速度118・7マイル(約191キロ)の衝撃6号ソロを放った。一夜明けて「感覚的にも、人生でトップクラスじゃないかな。打感や、当たったポイント。タイミング的にドンピシャだったと思います」と体に残る衝撃を振り返った。大谷の打撃の基本は左中間、右中間へ二塁打を打つこと。それを日米通じて初めて1試合3本並べた。量産は体調の良さの証に他ならない。今季と同じく右肘手術明けで打者に専念した19年は、2月から左膝の痛みを抱え、打率・286、18本塁打で9月に左膝の手術を受けた。「前回は膝の不安が大きかった。そこが一番違う」と明かした。

 デーブ・ロバーツ監督は試合前、「翔平に重要なのは、どれだけ強打するかだけでなく、安定した形で強烈な打球を飛ばすこと。あれだけ強烈に打ち続ける選手は他に想像もできない」と打撃の安定性を絶賛していた。指揮官の言葉通り、3本の強烈な長打で塁上をにぎわし続けた。自身の持つ日本生まれの選手のド軍本塁打記録7本に大谷があと1本と迫っており「(9回は)入るなと願ったと、彼に伝えたよ(笑い)。まだ生き残った」とジョーク交じりに称えた。

 東海岸含む9泊10日の今回の遠征には、新婚の真美子夫人は同行しなかった。寂しいか?と問われた大谷は「寂しいと言わせたいです」とわざと意地悪そうな表情で返して笑いを誘った。ロサンゼルスとは約3670キロ離れ、時差も3時間あるが、寂しさも吹き飛ぶようなホットな活躍が止まらない。(杉浦 大介通信員)

 ≪日本選手 米最多タイ≫1試合で3本の二塁打は日本選手メジャー最多タイ。最多3度の松井秀喜(03、05年ヤンキース、11年アスレチックス)、2度のイチロー(03、10年マリナーズ)、田口壮(05年カージナルス)に続き4人目。大谷のシーズン二塁打最多は22年の30本で、日本ハム時代最多は16年の18本。日本選手の上位は(1)05年松井秀喜(ヤンキース)45本、(2)03年松井42本、(3)09年福留孝介(カブス)38本と続く。

 ▼アール・ウェブ レッドソックスでプレーした1931年に、メジャー記録の二塁打67本を放った。極端なプルヒッターで、右翼のフェンスが低い本拠地フェンウェイ・パークで半数以上の39本の二塁打を放ち、エンタイトル二塁打も多かった。12歳からテネシー州の炭鉱で働き始めた苦労人と同時に極度の恥ずかしがりで、遠征では部屋にこもり、シーズン最終戦を終えると炭鉱へ働きに戻ったという。実働7シーズンで通算661安打、二塁打は155本だった。

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