【内田雅也の追球】前夜「最後の打者」から引き継いだ食らいつく姿 「一日一生」の戦い方

[ 2021年10月22日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神6-1中日 ( 2021年10月21日    甲子園 )

<神・中24>2回1死二、三塁、島田は左中間に2点適時二塁打を放ち、ベンチに向かってガッツポーズ(撮影・北條 貴史)
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 ヤクルトとの直接対決で痛い0―0引き分けを喫した前夜、当欄で<最後の打者となった糸原健斗の打席を脳裏に刻みたい>と書いた。9球粘った、食らいつく姿だ。

 この夜、勝利後のお立ち台で島田海吏は「何とか食らいついていこう」と話していた。そんな気構えが難敵の中日・柳裕也攻略につながった。

 初回、島田は7球目のチェンジアップに食らいついて中前打。中野拓夢はフルカウントからランエンドヒット、同じく7球目を中前打し無死一、三塁とした。ともに低め変化球を見極め、追い込まれた後は連続ファウルでしのいでいた。これで近本光司のボテボテ二ゴロで先取点を呼んだ。無得点だった前夜の悪夢を振り払ったのだ。

 2回裏も木浪聖也が選球して四球(6球)、メル・ロハスが低めチェンジアップに体勢を崩されながら拾って二塁打(5球)。無死二、三塁とし、敵失と島田の2点二塁打で柳を降板に追いやった。

 前夜、いわば手本を示した糸原は3安打猛打賞だった。

 崖っぷちに追い込まれた阪神は、三原脩の名言「まだ首の皮一枚残っている」という状態だ。とにかく1試合1試合勝つしかない。1日勝って生き延び、また1日勝って生き延びるわけだ。

 「一日一生」という考え方が必要だろう。天台宗の千日回峰行を2度満行した大阿闍梨(だいあじゃり)、酒井雄哉(ゆうさい)の言葉である。

 7年、約千日間、延暦寺から比叡山の山中、京都などを巡拝する。行程は時期で異なり、歩く距離は1日30~84キロに及ぶ。道中に映る山や自然は日々、移ろいゆく。

 「何も変わらないようにみえても、自分自身はいつも新しくなっている。毎日毎日生まれ変わっているんだよ。自分自身はいつもいつも新しくなっている。毎日毎日生まれ変わっているんだよ」。著書『一日一生』(朝日選書)で語っている。

 「だから“一日が一生”と考える。一日を中心にやっていくと、今日一日全力を尽くして明日を迎えようと思える。(中略)一日、一日と思って生きることが大事なのと違うかな」

 もう少し「一日一生」を書く。酒井は俳優・高倉健とニッポン放送のラジオ番組で対談した。番組名と同じ高倉の著書『旅の途中で』(新潮社)に酒井の言葉がある。

 「今日の自分は今日で終わり。明日は新たな自分が生まれてくる。今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、明日はまた新しいものとして生まれる。こわだりを捨て、同じような過ちを繰り返さないために、今日のうちにその過ちを修正しておけばええ」

 だから「一日一生」。今の阪神が持つべき考え方、戦い方だと言える。

 プロ野球はほぼ毎日試合がある。そして<百万回ゲームをやっても、同じゲームは一度としてない>と作家・伊集院静が『逆風に立つ』(角川書店)で書いている。<日々、勝者と敗者は生まれる。(中略)ひとつの勝利がもたらすものは選手にとってもファンにとっても真の価値であり、希望なのである>。

 阪神の勝利から約1時間後、ヤクルトの敗戦が伝わった。ヤクルトのマジックナンバーは3のまま変わらない。

 新たな1日を迎えるため、1日を懸命に生きる。阪神はいい1日が過ごせた。さあ、また1日である。 =敬称略= (編集委員)

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