【内田雅也の追球】「後遺症」より「想像力」 巨人戦直後またも完敗の阪神 大歓声を感じろ

[ 2021年9月29日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-2広島 ( 2021年9月28日    甲子園 )

<神・広(19)>9回2死一塁、サンズ(左)の右飛の打球を力なく見つめる阪神ナイン(撮影・北條 貴史)
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 昔の阪神はこんな負け方だった。村山実、小山正明、江夏豊、ジーン・バッキー……らの力投を打線が見殺しにした。

 この夜は先発・秋山拓巳が投球時に発する声が銀傘に響きわたるほどの力投だった。救援3投手も失点を与えなかった。それでも打線はわずか2安打の零敗である。

 もう一つ、昔の阪神と似ている点がある。「巨人戦後遺症」である。

 「伝統の一戦」を戦う巨人相手には激闘、好勝負を演じる。だが、直後のカードにはどこか集中力や闘志を欠いたような状態になるのだ。そんなことがよくあった。

 巨人V9(1965―73年)の頃、阪神は2位5度、3位3度で「万年2位」と呼ばれ、「後遺症」が顕著だった。巨人とは好勝負を演じるが、その後のカードで取りこぼすのだ。たとえば68年は9月の巨人4連戦を3勝1敗でゲーム差0としたが、その後のカードで取りこぼして離された。

 今季はどうか。前回巨人3連戦で2勝1分けとした直後、9月7日のヤクルト戦(甲子園)に0―12とブレーキがかかった。今回も26日まで巨人に2勝1分けとして帰った本拠地・甲子園で、この零敗である。

 これで今季8カードあった巨人戦直後の試合は4勝4敗。どうも乗っていけない。何しろ優勝がかかっている。下位球団との試合での取りこぼしは痛い。

 80年代までは巨人戦をAカード、他との対戦をBカードと呼んで区別していた。巨人戦だけ甲子園は満員で他は空席が目立った。選手のモチベーションも違い、大歓声が後押ししていた。

 だが、2003年優勝以降、甲子園は連日満員で、巨人戦の特別意識も薄れたようだ。いつも大歓声があったからだ。

 今年のような優勝争いをしていれば、それこそ球場は連日超満員、超大歓声で、いわゆる猛虎フィーバーが巻き起こっていたことだろう。

 きょう29日は2005年、リーグ優勝を決めた日である。あの夜の甲子園は「平成の大改修」後最多となる有料入場者数4万8576人が記録された。藤川球児登板時、場内にまたたいた、おびただしいカメラのフラッシュ。自然発生的にスタンドにわき起こったウエーブ。金本知憲がウイニングボールをつかんだ時の怒濤(どとう)のような重低音は今も耳に残っている。

 ところが、コロナ禍に見舞われた昨年以降、無観客や人数を制限しての開催が続いている。応援も手拍子やメガホンを打つのが中心で、大歓声は響かない。

 だからだろうか。今季甲子園での試合は24勝24敗3分けの勝率5割と地の利をいかせていない。

 ただし、シーズンのヤマ場はまだ先で、10月8日からのヤクルト、巨人との6試合とみている。この天王山に向け機運を高めていきたい。

 そのためには球場での大歓声はなくとも、全国でテレビを前に祈るあまたのファンの思いを感じることだ。

 つまり、想像力の問題である。下柳剛が<感謝にはすごい力がある>と『ボディ・ブレイン』(水王舎)で書いている。<想像してみてほしい。「自分は周囲の人に助けられている。一人じゃない」――きっと気持ちが少し楽になったはずだ>。

 ありがたいファンの応援やスタッフや裏方たちの献身に感謝する。それがグラウンドでプレーする際の精神的な支えとなるというわけだ。

 プロなら、できるはずである。静かな球場で、大歓声を聞く想像力を働かせたい。 =敬称略= (編集委員)

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