阪神・桑原「不器用ながら何とかプロ野球にしがみついてきた」 引退会見、一問一答

[ 2021年9月20日 13:35 ]

引退会見で心境を語る桑原(代表撮影)
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 (冒頭あいさつ)

 「このたび2021年で現役生活を終わることになりました。後悔はしていないですけど、悔いは多少残ったかなと思う野球人生でした。横浜で入団して、オリックスにトレードで、阪神さんにトレード拾ってもらって、活躍できたことが何より良かったかなと思います

 ――悔いが少し残ると。

 「自分の中ではやり切ったというのが一番です。最後までちゃんと投げきりたかったなというのはあるんで、そこが悔いが残っているところです」

 ――引退理由は。

 「9月始めに練習試合に投げさせてもらって、ほとんどまともに投げられなかった。もう、そこで駄目だなと思って決断しました」

 ――相談相手は。

 「家族には相談しました」

 ――家族の反応は。

 「お疲れさまという感じでしたね」

 ――もう少し投げて欲しいというのは。

 「“もういいんじゃない?”みたいな感じの言葉はいただきました」

 ――肘、肩の痛みと戦ってきた。

 「開幕1軍に残れた時点では良かったと思うんですけど、そこから思ったところには放れずに、5月中旬ぐらいに抹消されて、ファームでもう1回頑張ろうと思っていたんですけど、肩、肘ともに痛み抱えながらやっていく中でどうしても思うようにはいかず、辛く感じたというのが1番の理由です」

 ――9月まで踏ん張ってきた要因は。

 「最後まできちんと試合に投げて、どうなるか分からないですけど、幕が下りるか分からないけど、試合でちゃんと放りたかったというのは自分の中ではありました」

 ――2017年には最優秀中継ぎ賞。
 「それまで何も活躍できず、鳴かず飛ばずでやってきて、金本監督に抜てきしていただいて。その意気に応えられたかは分からないですけど、自分の中では精いっぱいやったというのがあの年だったかなと思います」

 ――どんなシーズンだった。

 「自分の中でも上出来以上ですね」

 ――マウンドで逃げないで向かっていく姿が印象的。

 「当時、大事なところで放らせていただいたんで、どうやって抑えてチーム貢献できるか、“抑えてやるぞ”という気持ちだけで放ってました」

 ――金本監督と連絡は。

 「連絡させていただいて“お疲れさま。当時はよく頑張ってくれた”という言葉をいただきました」

 ――矢野監督には。

 「“ケガして投げられなくなって、また投げられるようになったという経緯は、今後にプラスになると思うから、それを今後に生かして欲しい”という言葉をいただきました」

 ――3球団でプレーしたが、1番印象に残ったの試合は。

 「結果が出たという試合じゃなかったですけど、17年のCSの雨の中での登板が一番、印象深いですね。打たれた試合だったんですけど、なかなか経験できないところで投げたなという思いですね」

 ――悔しさか。

 「悔しさもありますけど、驚きですね」

 ――10年目で阪神でブレーク。この球団については。

 「入団当初、横浜でよく対戦して、強いというイメージ。ファンの方がすごいなというイメージは持っていました」

 ――甲子園球場で投げてみて。

 「リリーフカーでマウンドに上がる時にすごい応援してくれて、すごいんだなあという印象で最初、投げた記憶があります。当時、17年ですけど、いいところで放っている時に“頑張れ”という感じで声をかけてもらったのは覚えていますね」

 ――引退後予定は。

 「これからゆっくり考えていきたいと思います。最後まできっちりとやってから考えたいと思います」

 ――1軍も優勝争い中。ブルペン陣に残したい思いは。

 「岩貞、岩崎両投手がいるんで、心配はしていない。中継ぎという一つのチームとしてこれからの阪神タイガースを盛り上げていってもらえたらなと思います」

 ――チームの選手、スタッフに。

 「ぜひとも(自分が)在籍中に優勝していただきたいなと思います」

 ――改めてタイガースファンに。

 「7年間、応援ありがとうございました。1、2軍とも優勝争いしている中で、ファンの皆様の応援という力でこれからもタイガースを盛り上げていって欲しいなと思います。これからも阪神タイガースをよろしくお願いします」

 ――桑原とはどういう投手だったか。

 「不器用ながら何とかプロ野球にしがみついてきたというイメージですね」

 ――真っスラ、カットボールについて。

 「唯一無二ではないですけど、特殊球という形で14年間できたので、自分に感謝しています」

 ――金本監督からの言葉で転機になったことは。

 「17年の開幕当初にいいところで抜てきしていただいて“打たれても辛抱して使ってやる、頑張れ”と声かけてもらった時に“やらなきゃ”という気持ちが出てきました」

 ――横浜時代からの愛車は今も?

 「一応、もう代わりました。(廃車?)そうですね」

 ――初心を忘れずにという車だった。

 「すごい愛着はありましたね。いい加減、代えろと言われたんで。今年代えました」

 ――肘の痛みはいつぐらから。

 「肘は18年のシーズン前からあって。去年、また投げられるようになって、肘よりも肩の方が気になりだして。そこから両方、痛みを抱えながらという感じですね。投げられなくなって“どうやったらまた投げられるのかな”というのを苦しみながら考えていた日々でしたね」

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