ヤクルト・村上100号を師匠の青木「ノリさん」が祝福「ムネならもっと凄い選手になれる」

[ 2021年9月20日 05:30 ]

ヤクルト・村上 史上最年少100号

<ヤ・広>初回1死、ソロ本塁打を放ち通算100号のボードを掲げる村上(中央)=撮影・吉田 剛
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 史上最年少で通算100号を達成したヤクルト・村上について、公私にわたり良き相談相手である青木宣親外野手(39)がスポニチ本紙に祝福メッセージを寄せた。この日、アーチで競演した村上とは、1年目の18年オフから合同自主トレに同行させるなど、お互いが刺激を受ける良好な師弟関係。球界を代表する打者へ成長した後輩への思いを語った。

 ムネ、おめでとう。21歳7カ月で100号。凄いスピード記録だと思います。

 初めて会ったのは日本球界に復帰した2018年の7月。僕が頭部死球を受けた影響で、ファームの戸田球場で調整していた時でした。(当時2軍打撃コーチの松元)ユウイチさんから「ノリ、何かあったらアドバイスしてあげて」と言われたのがきっかけです。

 高卒1年目だったけど、最初から振る力が備わっていた。ヤクルトには日本人の大砲がいなかったので、まだ粗削りだったけど、この才能を順調に伸ばしてほしいなと。もちろん、一日では伝えきれない。なので最初に話した日に「オフの自主トレ、もし決まってないなら行くか?」と誘ってみたら「お願いします」と。それで一緒にやることになりました。プレーも私生活でも、よくない考え方だと思ったら指摘するようにしています。凄い選手だけど、まだまだ考え方や取り組み方は年相応。でも、ムネの色は消してほしくないから、少しずつ伝えるようにしています。

 僕が今年5月に日米通算2500安打を達成した後に、ムネを含めた合同自主トレのメンバーが「2500安打」の文字が入った記念のバットをプレゼントしてくれました。凄くうれしくて、今は自宅の玄関に飾ってます。

 哲人(山田)と一緒に日本代表として戦った東京五輪は、はらはらしながら見ていました。米国との決勝戦で決勝弾。大舞台で結果を出せて、今後の野球人生でも自信を持ってプレーできるでしょうし、大きな財産になったと思います。2人にはチームに戻ってくるときに「金メダルを持ってきてよ」とLINEでお願いした。首にかけさせてもらって、写真も撮らせてもらいました。重かったですね。

 高卒4年目でここまでの成長は、予想以上。でも、本人はまだまだやらないといけないことがたくさんあると思っているでしょう。もっと成長していってほしいし、ムネならもっと凄い選手になれると期待しています。(東京ヤクルトスワローズ外野手)

 ≪1年目から自主トレに参加≫村上はプロ1年目で18歳だった18年オフから青木の米ロサンゼルス自主トレに西浦、塩見らとともに参加。青木から「常に意識を高く持っている。ああいう選手は勝手に育つ」と期待されていた通り、高卒2年目だった翌19年シーズンで36本塁打を放ってブレークした。「ムネ」「ノリさん」と呼び合う仲で、村上は打撃練習中に青木にアドバイスを求めることも多い。

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