藤川球児氏 人知れず車中で涙した過去 「監督の身代わりやったんや」と気づくまで5年掛かった

[ 2021年6月1日 08:27 ]

藤川球児氏
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 現役時代「火の玉」と呼ばれた直球を武器に、日米通算245セーブを挙げた元阪神の藤川球児氏(40)が、5月31日深夜放送の関西テレビ「こやぶるSPORTS超」(月曜深夜0・25)に出演。重圧による「パニック」で涙を流した過去を明かした。

 女優でフィギュアスケーターでもあるMCの本田望結(16)から「藤川さんでも泣いてしまう日はあったのですか」と質問を受けた藤川氏は、「打たれて泣いているということはないです。他人のことでは泣いているんですけど」と、恩師でもある岡田監督の退任などを振り返ったが、「一番泣いていたのは26歳ぐらいから30歳手前まで」と吐露。それは「めっちゃ仕事がうまくいっている」時期でもあった。

 その年齢の当時は、最多セーブを2度、防御率0点台で終えたシーズンも2度あるなど絶対的な立場だったが、1軍で頭角を現した頃とは違い、実績を積み重ねる度に周囲の反応もそれが当たり前になってくる。そんな最中、1つ四球を出しただけでも「おい、しっかり投げんかい!」とヤジを受けることもあった。「前より成績上がっているけど、誰も認めてくれへん」と悩んだ藤川氏は「何が正解か分からなくなってきて、車で帰っているときに、自分はどうやったら今以上に上がれるのだろう、というのが全く分からなくなった。訳もなく涙が流れてきた」と明かした。

 共演者のスピードワゴン小沢一敬(47)から「毎日続くと、パニックになるのでは」と尋ねられると、藤川氏は「ほとんど、パニックですね」と本音をチラリ。「年間、2、3回の失敗しかなかった」という安定感なのに「他球団でもっと失敗している抑えの方がいい、みたいな書かれ方をする」と厳しい評価が続き、結果的に「家でもしゃべらないし、グラウンドでもしゃべらないし、練習中も耳栓をしていた。一言も、誰の声もいらない」と頑なに周囲の声を拒んでいた時期があったという。

 それでも、「苦しさを分かってくれるのは金本さんとか。理解者がいたので助かりました」と、チームメートにも助けられた。打たれたことが報道されるという逆転現象になり、「いきなりヒールみたいになった」という状況だったが、「後々、気づくんですけど。31、32歳ぐらいになったときに、これは監督の身代わりやったんやな。監督、コーチを守っていたんだと。自分が打たれたら自分の責任になる。お前、どんな投手起用してんねん、と言わさなかったというのは僕だけなんで」と、絶対的な存在だからこその立場に気がついたという。「それ、気づくまでに5年ぐらい掛かりました。支えてもらう側ではなく、誰かを守る側に、守護神になったんだ、と」。藤川球児ゆえの悩みでもあった。

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2021年6月1日のニュース