【阪神新人連載】岩田将 中学2年から横手投げに本格転向し、NOMOジャパン選出

[ 2020年12月29日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 育成1位・岩田将貴投手(上)

小学校時代所属していたソフトボールチーム「吉塚クリッパーズ」で打席に立つ岩田将貴(家族提供)
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 3兄弟の末っ子として最重量の3618グラムで生まれ、「将貴」の名には父の陽三さん(54)からの「将軍のように大きく育ってくれれば…」という願いが込められた。

 実は、他の候補もあった。寅(とら)年生まれということもあり、母の京子さん(52)は「タイガ」を推していた。陽三さんは「“大きな河”と書くから遠くに行ってしまいそう」と反対。その分、親戚からは「トラ」と呼ばれ、かわいがられた。大学まで地元。遠くへ行かず、ずっと実家から通い、「タイガース」に入団することになったのは、生まれた時からの運命だったのかもしれない。

 幼稚園の頃はサッカーをやっていたが、兄がソフトボールをやっていた影響で、そちらに移るのは自然な流れだった。中学で「福岡ボーイズ」に入って硬球を握り、念願だった投手になった。最初はオーソドックスな上手投げだった。春の1年生大会で3連続四球から痛打を浴び、冬に横手投げを試したことが転機になった。

 2年生から本格的に横手投げで試合に出始めると、それまでの制球難がウソのように安定した。自然と腰を寝かせるような体勢になるのがピタリとはまった。3年春には全国大会出場。夏には春の全国4強だった西松ボーイズ(佐賀)相手に2失点完投勝利を収め、NOMOジャパンに選出された。

 渡米前の合宿。藤嶋健人(現中日)と同部屋になった。「あいつ、ダルビッシュさんの雑誌を持ってきて、ずっと見てたんですよ。そこで意識違うなと思いました」。この出会いが意識改革につながった。

 「アメリカのバッターは(ストライクを)振ってくる。“スピードがない分、いかにストレートを速く見せられるか”を考えることができた。それが今につながっている」

 昔から思ったことは言葉にする向こう気の強い性格。逸話がある。吉塚中3年の運動会。赤白青3チーム対抗で、赤組の応援団長を務めていた。最後を飾る組み体操。降りしきる雨の中、ピラミッドは2回連続失敗に終わり、閉会式に移った。このままでは終われない――。校長らがいる運営のテントに向かって叫んだ。「ちょっと待った! もう一回、やらせてください!」。教員たちの心を打ち、泣きの1回で大成功。大学で直面する野球人生最大の危機を乗り越えられたのも、この芯の強さがあればこそだった。(北野 将市)

 ◆岩田 将貴(いわた・まさき)1998年(平10)6月16日生まれ、福岡県出身の22歳。吉塚小1年からソフトボールを始める。吉塚中では福岡ボーイズ所属で主に投手。九産大九州では1年夏からベンチ入り、同年秋からエース。2年春に甲子園出場。九産大では1年春からリーグ戦に出場して2年春7勝でMVP。1メートル78、83キロ。左投げ左打ち。

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