【藤川球児物語(8)】即戦力獲得に苦戦…急きょ浮上「1位指名・藤川」

[ 2020年11月20日 10:00 ]

メディア用 担当の谷本スカウトが高知商を訪問し、「1位指名・藤川」の球団方針を伝えたことを報じる98年11月7日付本紙
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 まだ逆指名の制度があった98年のドラフト戦線で、阪神は苦戦を強いられていた。このシーズンも最下位。95年から6位、6位、5位、6位とチームは低迷していた。

 再建に向け、招へいした監督・野村克也からは「何としても即戦力を指名したい」と強い要望が出されていた。だが、98年の目玉であった大体大・上原浩治は巨人逆指名を表明。即戦力野手として、獲得に乗り出した近大・二岡智宏からも「断り」が伝えられた。二岡も巨人を逆指名した。

 高校生投手としてNo・1と位置づけられていた甲子園の星、横浜・松坂大輔は横浜を意中の球団として挙げていた。スカウトから報告を受けた野村も「欲しい選手だが、横浜に行きたいと言っとるんやろ」と阪神入りは困難だとの見方に同調していた。

 「現場のニーズに応えるのがスカウトの仕事。対応はできるはずだ」という球団社長・高田順弘の厳命の中、浮上したのが藤川球児の存在だった。ドラフトの責任者、チーフスカウト・末永正昭は11月5日のスカウト会議で「3年時は甲子園に出られなかったが、出ていたらもっと評価された投手。MAXは142、3キロ出るし、制球力もある」と主張。この会議で「1位指名・藤川」が決まった。

 翌6日に担当スカウト・谷本稔が高知商を訪問し、球団方針を伝えた。四国担当の谷本は捕手出身。八幡浜(愛媛)から大映入りし、1年目の55年は高卒新人捕手開幕スタメンでデビューしたキャリアを持つ。「フォームが柔らかい。コントロールもいいし、スライダーが使える」と捕手目線で高く評価した。

 社会人の本田技研鈴鹿(現Honda鈴鹿)に内定していた藤川も1位指名に胸を躍らせた。「早く上でやっていける体をつくりたい。5、6年後にはストッパーをやってみたい」。まるで将来の姿が見えているかのように、ドラフトを前にこう口にしていた。 
=敬称略=

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2020年11月20日のニュース