金田伝説 新人長嶋にプロの洗礼4打席連続三振も「いつかは…」

[ 2019年10月7日 05:30 ]

金田正一さん死去

58年の開幕戦で巨人・長嶋を4打席4三振に抑えた金田
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 金田氏を不滅の400勝投手たらしめたのが、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏(83=現・巨人終身名誉監督)の存在だ。日本野球史に語り継がれる名シーンは1958年4月5日、シーズン開幕の巨人―国鉄戦(後楽園)。既に球界を代表するエースだった金田が、新人の長嶋から4打席連続の空振り三振を奪った。

 全19球中、バットに当たったのは1球(ファウル)のみ。しかし、そのスイングの鋭さに驚かされた金田氏は「いつかは打たれる。負けるものかと思って、さらに猛練習をやった」と後に述懐した。長嶋氏も「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた」という。この切磋琢磨(せっさたくま)が、互いをさらなるスターへと押し上げ、後にチームメートとして栄光のV9時代へとつながる。
 この初対決には大きな伏線があった。学年は2つしか違わないが、高校を中退してプロ入りした金田氏とのキャリアの差は8年。立大出身の黄金ルーキーとして世間の注目が集まり「対談とかに引っ張り出された。ただ不思議なことに憎めない男だなと思っていた」という。一方で、開幕での対決がクローズアップされると燃えた。「開幕に凄い照準を合わせていた。それはすさまじい練習したでえ。海岸走って、脚力を鍛えて鍛えて」。オープン戦で7本塁打を放った新人に対して「最高の練習、最高の体の整備をし、最高に体を強く持っていく」と全力で立ち向かい、返り討ちにしてみせた。

 それから56年後。2014年の7月4日に巨人―中日戦の試合前セレモニーで2人の対決が再現された。3球目、金田氏が「(打ちやすいのは)“ここだな”と思った」と投じた内角高めを、長嶋氏が左手一本で力強くスイングし、遊撃前へのゴロを放った。「自分ではいい当たりだったと思っています」と長嶋氏。04年に脳梗塞に倒れて以来、ボールを打ったのは初めて。2人の名勝負は、永久に語り継がれる。

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2019年10月7日のニュース