【徳島】池田 蔦監督30年目の歓喜 まぶしかった無敵のやまびこ打線

[ 2018年7月24日 08:00 ]

第64回大会決勝   池田12―2広島商 ( 1982年8月20日    甲子園 )

<池田・広島商>初優勝に大喜びの池田ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 四国4県で唯一、優勝がなかった徳島の高校が初めて頂点に立った。そんな歴史など知らない6歳の夏。テレビ画面で見る圧倒的な猛打がまぶしく、周りの大人たちはとにかく大騒ぎしていた。

 初回2死無走者から江上光治、畠山準、水野雄仁の3連打で満塁。押し出し四球で先制した後、さらに3連続長単打を浴びせて一気に6点を先行した。6回には畠山の左越え本塁打など当時の大会新記録となる7連打で再び大量5点を奪い、勝負を決めた。4番でエースの畠山は9回115球で完投。監督30年目の蔦文也監督にとっては3度目の決勝戦でつかんだ栄冠だった。

 翌83年春のセンバツでは「4番・投手」を畠山から継承した水野を中心に優勝。幼心に「池田は無敵」とすり込まれたのだろう。同年夏の準決勝でPL学園に敗れた時は3回戦で水野が受けた頭部死球を持ち出し、「広商のせいだ」と泣きながら両親に八つ当たりしたことを覚えている。

 畠山はドラフト1位で南海へ入団。春のオープン戦で父に「畠山が投げるぞ」と大阪球場に連れて行かれた。明石大橋など影も形もなかった当時、徳島からはフェリーに乗って片道3時間以上の旅だったのに実際には投げなかった…。あれが初めて見たプロ野球だった。

 ◆友成 貴博(大阪本社報道部)98年入社。徳島市立高校卒。プロ野球の阪神、広島などを担当。

 <徳島データ>

夏の出場 56回(通算65勝55敗1分け)

最高成績 優勝1回(池田=1982年)

最多出場 徳島商(23)

最多勝利 徳島商(21)

出場経験 11校、うち未勝利4校

 ※鳴門工、鳴門一、両校が統合した鳴門渦潮はそれぞれ1校として計算

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