偉業達成の内川に10年前に舞い降りた「福の神」

[ 2018年5月12日 10:40 ]

現在はヤクルトで巡回コーチを務める杉村氏(左)。内川は移籍後も師の元を訪ねては打撃談義に花を咲かせている
Photo By スポニチ

 ぽっちゃりとした体型に、柔和な表情。直接言ったことはないが、「福の神」に似ている。選手や取材陣からも「スギさん」の愛称で親しまれる、ヤクルトの杉村繁巡回コーチ。通算2000安打を達成したソフトバンク・内川の恩師として、達成翌日の紙面に08年に指導した当時のことを掲載させてもらい、電話をもらった。

 「おまえのところだけじゃなく、いろんな新聞に俺のことが出ているんだけど、なんで取り上げるんだ?俺は手助けしただけ。やったのは本人だよ」。照れ隠しもあるだろうが、「安打製造機・内川」を誕生させた名打撃コーチは、無欲の人だ。その指導は選手が「助け」を求めているときに、タイミングを見計らって的確なアドバイスを送る。内川には、打撃スタイルを変えるきっかけを与えた。

 杉村コーチが横浜(現DeNA)に加入した08年、オープン戦中の3月中旬だった。打撃不振に苦しむ内川にミートポイントを捕手寄りにし、引きつけて打つことを薦めた。内川にしてみれば自身の打撃スタイルを否定された形で「前で拾って打って引っ張るのが自分は得意。それを目指して今までやってきた」と言ってきたという。前年までのヤクルトコーチ時代の印象を伝えた上で、前でさばく打ち方では崩されやすい。元々右打ちがうまく、広角に打てる特性を持っていることなどを話し、納得させた。

 連日の早出練習ではティー打撃を中心に行い、捕手寄りに変えたミートポイントを体に染み込ませた。同年に右打者最高打率の・378で初の首位打者を獲得。杉村コーチは当時をこう振り返る。

 「いろんな話もしたよ。“それが習慣になって、習慣が結果になって、人生が変わっていく”という話もした。その通りになったよね。横浜の時は最下位が続いていたけど、ソフトバンクに来てリーグ優勝して、日本一になって、(09年の)WBCでも世界一になって。トントン拍子でいろんな経験をして、人間的にも野球人としても、成長したというのが事実でしょうね」

 杉村コーチは史上初の2年連続トリプルスリーを達成したヤクルト・山田哲の師匠としても知られる。その山田哲を指導する際、一番最初に名前を挙げたのが、内川だったという。「“おまえ、スイングスピードは内川並みだ。内川よりも打てるぞ”とね。得意の話術なんだけどね」。そう言って、微笑む60歳。次は誰を一流打者に育てるのか、楽しみである。(野球コラム・飯塚 荒太)

続きを表示

この記事のフォト

2018年5月12日のニュース