ロマン 台湾から今もつぶやき続ける“ヤクルト愛”「いつかまた古巣で…」

[ 2016年6月6日 10:55 ]

ヤクルト・ロマン投手

 「ナイスガイ」という言葉がピッタリの助っ人だった。12年から15年まで4年間、ヤクルトに在籍していたオーランド・ロマン投手のことだ。

 11年に台湾・兄弟で16勝を挙げ最多勝を獲得し、日本へとやってきた。ヤクルトに入団した12年は全て先発で26試合に登板して9勝11敗。13年は先発、中継ぎの両方を担った。14年には右肘の手術を受けたため16試合の登板に止まったが、一時は抑えも任された。15年も先発、中継ぎとフル回転して61試合に登板。リーグ優勝に大きく貢献したものの、チーム事情により退団となった。現在は台湾・ラミゴのユニホームに袖を通している。

 プエルトリコ出身。いつも明るく、報道陣にも「Hola!(こんにちは)」と笑顔で声をかけてくれた。練習も常に全力。2月の春季キャンプでは休日も必ずグラウンドに姿を現し、キャッチボールなど汗を流していた。失礼ながら、助っ人外国人はあまり練習をしないイメージが先行していただけに、とても驚いたのを覚えていている。

 「今まで一緒にやった外国人選手の中で一番仲良しだった」と振り返るのが、プロ15年目の石川だ。1979年11月生まれのロマンに対して、石川は1980年1月生まれ。チームで年長だった2人はお互い「ジジイ」と呼び合いながら、ふざけあっていた。石川が「練習態度やチームのためにという姿勢を常に持っていた。台湾で頑張っている姿は励みになる」と話すように、今も刺激し合う仲だ。

 若手にとっても大きな存在だった。先発、中継ぎと多くの役割をこなした石山にとって、似た境遇だったロマンからは調整法などのアドバイスを受けていたという。「頼りになる、みんなの兄貴分でした」と表現した。

 昨年12月。14年ぶりにリーグ優勝を果たしたチームは、米ハワイへ優勝旅行に出掛けた。ロマンも参加したが、すでに退団が決まっていたため祝賀パーティーなど公式行事には参加しなかった。最終日の夜。石川や松岡、石山ら旅行に参加していた投手陣がスポーツバーに集った。そこにやってきたのがロマン。ささやかな送別会が開かれた。通訳はいない。それでも愛された助っ人は仲間との時間を楽しみ、最後は固い握手を交わした。

 台湾の地で戦いながら、今も誰よりもヤクルトのことを思う。2連覇を目指すも低迷している古巣を心配する毎日だ。時折、自身のツイッターでヤクルトへのエールをつぶやいているのを知っているファンは多いだろうが、渡辺打撃投手には無料通信アプリ「LINE」で「どうしたんだ?」などと頻繁に連絡が来るという。2人でよく食事に出掛けるなど特に仲が良かった渡辺打撃投手は「自分のことよりも、人のことを考える。ロマンは日本人よりも日本人らしいかもしれない」と笑う。本当に、多くの人から慕われていた。

 ロマンは言っていた。「いつかまたヤクルトで仕事がしたい」。その夢が叶う日を待っている人が、日本にもたくさんいる。(記者コラム・町田 利衣)

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2016年6月6日のニュース