清原を押しつぶした重圧、挫折…桑田も知っていた“心の弱さ”とは

[ 2016年5月20日 09:35 ]

清原和博被告

 覚せい剤取締法違反罪に問われた清原和博被告(48)の初公判が17日に東京地裁で行われた。何度も涙を流し、「心の弱さ」を口にしたように、決して強い男ではない。08年の引退後に覚醒剤を使い始めたとし、「現役時代はストレスやプレッシャー、不安を野球で解決できた」と話していたが、巨人時代に重圧を感じていた姿を思い出す。

 当時はミスターこと、長嶋茂雄監督が指揮を執り、スポーツ紙は勝っても負けても「巨人一色」の紙面づくりだった。西武時代は打てば大きく取り上げられても、打てなければ大きな記事にはならなかった。ところが、巨人では打っても打たなくても清原。もう一人の主砲、松井秀喜は成長著しく、安定感もあった。さらに、何事にも動じない強さもあった。勝負強さを見せる一方で、好不調の波も激しい清原は「戦犯」になりやすい。マスコミへの敵対心は膨らみ、威圧感を放ち続けた。いつしか「番長」と呼ばれた。当時の親しい知人には「俺はそんなに悪いことをしているんですか」と漏らしていた。

 99年の宮崎春季キャンプ中だった。清原は左膝の故障で帰京。練習再開に備え、自宅周辺のスポーツジムを張っていると、地下駐車場に現れた。「おまえは何でここにおるんや!」。もの凄い剣幕だったが、帰りを待った。怒りは膨れ上がっていたが、故障の状態を聞かせてほしいと迫ると、答えてくれた。はっきり言って恐いが、時折優しい一面ものぞかせる。

 現役時代からよく知る球界関係者は「純粋で優しい男。すぐに人を信用するところもある」と言った後、こう続けた。「だから弱いんだよ」。PL学園時代に「KKコンビ」と呼ばれ、巨人で再び同僚になった桑田真澄が「もし、キヨとケンカしたら、僕は負けないよ」と話していたことがある。体格でははるかに清原の方が上だが、桑田は肝が据わっていた。ケンカは度胸。清原のことをよく分かっていた。

 05年オフ。幼少時から憧れ、FAで移籍した巨人から契約を解除された。当時の球団首脳から都内ホテルで通告された。「紙切れ一枚。今までは何だったんや。ねぎらいの言葉もなかった」。親しい知人にそう漏らした。どん底に墜ちたスーパースター。移籍したオリックスでは笑顔が戻っていたが、挫折感もあっただろう。引退後は、亜希夫人との離婚による息子たちとの別れもあった。

 願っていた球界復帰は極めて厳しい。それでも高校時代から野球ファンを魅了してきた男としての責任がある。情状証人となった佐々木主浩氏のように、手をさしのべてくれる友人もいる。「必ず更生する」と誓った以上は薬物に負けない強さを持ち、弱い心に打ち克ってほしい。(記者コラム・飯塚 荒太)

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2016年5月20日のニュース